2011-01-30

テロ価値のある政治家日本はいない

1960年日本社会党委員長浅沼稲次郎右翼少年山口二矢に刺殺されるという事件があった。

当時の言葉でいえば暗殺、今の言葉でいえばテロだ(あんまり変わらんか・・・)。

この犯人「少年」だった。当時17歳である。そのことは覚えていた。

しかし、今日この記事を書こうと思うまで、わたしはこの事件を戦前の事件だと思い込んでいた。

ところがちょっと調べてみると実際には、学生運動盛んなりし頃、まさに1960年のことだった。

驚いた、というか自分の思い違いを恥じた。

ここで、不謹慎ながら、いまみずぽ暗殺しようとするやつがいるだろうか、と考えて

失笑とも落胆ともつかない思いに駆られた。

いや、Cだろうが、管だろうが鳩山だろうが、小沢だろうが(そのほかもろもろ)

いまこの日本暗殺されることで世の中に衝撃を与える政治家がいるだろうか。

やれやれ

さて、一方で最近日本では、若者が元気がないと言われる。

いわく、これだけ世代間格差があるのに抗議もしなければデモもやらない。

人口年代別構成率の上でも少ないのに、さらに悪いことに投票率も低い。

絶望絶望を呼ぶだけなのだが、今一度ここで確認したい。

政治家というものは、民衆の意思を"集約"する「仕組み」である

それがどこまでいっても"集約"である限り、多数決原理は覆らない。

とすれば、高齢者が若年者に勝つの必然であって、

これはどこまでいっても、若者にとっては負け戦である

では、高齢者が「自分たちの利益ばかりを優先していてはこれはまずい!!」と思い直すにはどうすればいいか

社会を構成していることになっていても、そのじつ、構成していることにはなっていない(つまり、これまで価値を生み出していなければ、今も生み出していないような)有権者を効果的に削減していく」ほかない。

「で、それはどのようにして?」とな?

それはおぬしで考えよ。

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