はてなキーワード: 醜男とは
婚活の参考になれば幸いだ
俺は二十歳から交際した女と22歳で結婚し子無しのまま24歳で離婚。
時期ははっきり覚えてないが30代後半、口内射精したら「甘っ」と驚かれた
体はむくみ腹は突き出る、体力も低下、品も知性もドブに捨てた
毎晩飲んではいたが深酒は少なくなった
仕事は海外出張が多い、専門卒のアホだが日常英会話を習得した。適応力は高い。
会社は忙しいがプロジェクト端境期に二週間程度の休暇が取れるので溜まったマイルで海外旅行するようになった
醜男はフィリピンが気に入った。気候、人間、飯、雑さ、心地よかった
明らかに胡散臭い旅行者狙いのペテン師だろうが、俺は怖いもの見たさで乗ってみることにした。
そういう冒険も悪くない、殺されることは無かろう。いや最悪殺さてもそれはそれで楽しい。自殺願望など一ミリもないが、かといって長寿の執着も無い、それよりも人生を楽しみたい。
約束の時間と場所に明らか素人の若い女を連れてきた。可愛い子だった。
彼はコミッションを要求しなかったが俺はマニラ平均賃金1週間の金を渡した
彼は貧民が肩を寄せうドミトリーの住人だった、そこには地方から職を求めて上京(上マニラ)してきた若者たちが大勢いる。
彼女もそこの住人だった。
彼女をショッピングモールに連れて行き上質な服と靴と下着やバッグとピアス、時計、装身具、ナショナルブランドの化粧品を買い揃え、髪を切り、ネイルを施した。
彼女と観光地にショートトリップ、三つ星ホテルに部屋を取り、観光してプールでイチャラブして、沢山セックスをして、数週間生活に困らない金を渡してバイバイして帰国した。
同じような旅行を4,5回した。
置屋の彼からは今度いつ来るのか催促のショートメッセージが毎月届くようになった
毎回いい女を連れて来るが、一度ハズレが居た
彼にクレームしたらバスで5時間かけてチェンジの女を三人連れてきた
どれでもいいから好きなのを選べだと。
まぁ金払いの良い上客だからな、
彼からの連絡が途絶えた、死んだんだろう。しらんけど
それでも俺はフィリピンに行った
GoGoの作法は分かっている、俺は世界中で遊んでいる、ルールもマナーも大体同じ。
それにも飽きると町でナンパするようになった。
ショッピングモールのレストランで「仕事の後にデートしない?」
9割釣れる。
そうして妻と知り合った。出会った時にビビビと来た、他のフィリピン人とオーラが違った
デートしていろいろ話をした、高等教育を受けていないが地頭の良さ、正義感、機転、気遣い、品と知性と人生に対する達観を持ち合わせていた。素敵な女性だと思った。
当然知り合ったその日にセックスもした、こちらも相性が良かった
とはいえ最初は他の娘たちと同じ束の間の逢瀬、遊びのつもりだった
彼女たちからは帰国後テキスト(ショートメール)が来ることはあるが、こちらが返さないと諦めも早い、そこに愛は無いんだ、すまんな。
俺はマニラの平均月給二ヶ月半の金を毎月送金してやった。
その頃には日本での飲み歩き、夜遊びも完全に飽きていたので金はあった。
こいつもかよ、とは思ったが、応じられる範囲で応じてやった、そういうのも面白いと思った
結婚してくれと言うので応じた。なんだか人生が楽しくなりそうな予感がした。
まぁ何人でもいいんだけどね
しかし結婚の書類を書いている時にdivorce(離婚歴)にチェックをつけたのを見て
「え?離婚したことあるの?」と驚かれ、私は初婚だと勝ち誇られた、これは納得できん
恋はするが結婚は大切な人と決めていたらしい、俺なんだってさ。うへ
ともかく俺は再婚した。在留ビザを取り日本で一緒に暮らし始めた。
連れ子たちはフィリピンの義両親に見てもらい不自由ない金を送った
子どもたちは概ね10歳を超えており今更日本で教育を受ける必要もなかろうと判断した。経済成長率0%の国よりも6%の国でキャリアを積んだほうが未来は明るい。
当時は航空券が安かった。往復で1万円を切っていた
とはいえ金を持って帰らなきゃならないのでそちらのほうがデカい。
俺の貯金はどんどん減っていく
しかし相変わらず金をジャブジャブ使う、
俺の貯金は底をついた
しかしこれは俺が悪い、フィリピンの文化を理解していなかっただけ
しばらくしたら一番上の娘が成人した、ようやく独り立ちして送金が減ると期待していたら
ソッコーで結婚し子供を産みやがった、旦那も一応は働いているようだが一家を支えるほどの収入は無い。ならば結婚するなとフィリピン人に説教しても無駄だ
だーかーらー働けよ、せめて計画的にさ、ゴムを使えゴムをとフィリピン人に説教しても無駄だ
この次女はガチ可愛い、アイドル級、妻と交際中に紹介されたとき「できればこっちで」と喉まで出そうになったが
今は毎日食っちゃ寝で子育てしてるから猛烈な勢いでデブ化、セフセフ
現在俺は4人の孫も扶養している(正確には今はしていない後述)
父の経営していた会社は父の引退で事業譲渡され妻も継続雇用されていたが、2年持たずに倒産し妻も整理解雇。
俺は半年前に転勤辞令を蹴って退職、イマイチ労働意欲がわかず、失業手当も貰えるし貯金はあるので日々ネットで時間を浪費。
俺が働いているときは毎月妻にまとまった金を渡していたがそれもストップしているが妻はなにも言わない
早く働けとか、家でダラダラしてるなら掃除でもしろ、なんてことも言わない
これまで頑張って働いてくれてたから今はちょっと休憩ね、みたいな事らしい
コロナ禍前、出張で家を開けることも多く帰宅も遅い俺は育児を妻に任せきっていた、まだ乳幼児でよく熱も出した、異国の地で大変だっただろう、それを愚痴られたことも無かった。
コロナから三年間は在宅勤務で時間が取れるようになり今は息子のハートを独り占め。
無職の現在は毎日幼稚園に迎えに行ってポケGO巡り、今日も息子と二人でラブトロスをゲット
こんな結婚もある、参考にしてくれ
総じて醜男と呼んでおりました。
興味深かった。ところで単なる非モテ自認者が弱者男性を名乗り非モテの愚痴を言う増田を偶に見かけるが、「壁ドン」や「蛙化現象」の用法を誤用側に乗っ取られた事を思い出して腹立たしいし、深刻度はダントツと思う
こういうブコメ見て感慨深い
・若い女性
・美しい女性
んじゃお前らは「金なし、職なし、醜男」をパートナーに出来るのか?
結婚して養ってもらう道もなく
弱者男性ってもともとホームレス・ワープアあたりの非可視化された層の話だったのが、アンフェも弱者男性を称し始めたせいで弱者男性=インセルみたいな感じになってしまっているのがなあ
みたいのこそ、歴史改変なんだけど★つけてる人見ると、(察し)ってなるよ
弱者男性の概念は、ワープアを含んではいるが、ワープアの話を上書きなんぞしていない
【弱者男性】とは、真っ当な社会問題としてのワープアやホームレスを指し示す概念だったのだ
とか
どういう顔して書いてるのかね?
自分はもののけ姫くらいからリアルタイムで見て、振り返ってカリオストロ以降は全作見て、本やインタビューもそれなりに追っているまあまあの宮崎駿ファンです。
千と千尋の神隠し、風立ちぬあたりがフェイバリットです。箇条書きで感想書いていきます
話してたぞ。
おまえの主張は「主人公が人間じゃないと感情移入できないから売れない」。
俺の主張は「人間でないと感情移入できないとは限らない」「そもそも感情移入が必要とは限らない」。
「主人公が人間でなくても普遍的なテーマであれば受け入れやすい」というのはおまえではなくむしろ俺の主張の範囲なんだよ。
そもそも人間には「親近感」以外にも「憧れ」や「同情」などさまざまな感情がある。
映画の中には、視聴者には真似できないことをするスーパーヒーローも、現実では絶対にやりたくない悪事を働くダークヒーローもいる。
主人公が本当に嫌な奴でムカつくからこそ面白い作品だってある。
主人公を全能のように描いて脇役に感情移入させるタイプの作品もある。
それらすべてを一面的に「視聴者と主人公が近くて感情移入するから人気がある」と説明することはできない。
それを「子供っぽくて親近感が湧くから人気なんだ」と無理やり説明しているのがおまえ。
もちろんそれも一因ではあるが本質的ではない。
唯一の縛りは「容姿に優れていること」なのではないか?(性別でも年齢でもなく)
よって、禿頭で肥満した顔貌に疵瑕のある中年男がプリキュアになれるかというと「無理」なのではないだろうか
(一部の層にのみ愛好される容姿では、お茶の間に相応しくないという観点から)
だが、例えばハゲムナゲタンソクであってもジュード・ロウならプリキュアになれるかもしれない
(今現在は見る影も無いおじいだが、40代中盤くらいまでならなんとかプリキュアいけるかもしれない)
つまり、ハゲ中年男性ならあのレベルの顔貌でないとプリキュア無理という判断だ(個人の見解)
気持ちが悪い・面白くない・馬鹿馬鹿しい・興奮しない・萎える・バカバカしい・創意工夫には遠い・品性下劣を誇るな・在り来りだ、そういった感情が溢れてくる。
あーすまない先に例をあげるべきだった。
・身ぐるみを剥がされた女騎士が命乞いのために土下座をさせられる
そういった類のものを「性的に興奮するシチュエーション」として描かれることだ。
私も別に爽やかな恋愛だけが性的なコンテンツとして正しいなんて思ってない。
浮気だとか隠し撮りだとかそういったシチュエーションをテーマにしたオカズでマスターベイションをすることだってある。
だが、その中で支配欲と性欲結びつけるのが素晴らしいと考えているような描写が出てくると一気に気持ちが離れてしまう。
世の中の多くの人はどうしてこんなにも性欲と支配欲が当たり前に結びつくと思っているのか。
相手を自分の思い通りにコントロールすることに興奮する気持ちは分からなくはない。
蟻の巣に水を流して慌てふためく様子を観察したことぐらい私にだってある。
だがそれによって性的に興奮することはなかった。
思うのだが、支配欲と性欲の結びつきが過剰に強い人達というのは性的なものを規正されすぎたのではないだろうか。
彼らにとって性的なものは悪いものであり、悪いことが出来るのは相手を支配した時であり、その2つのシチュエーションが結びついてしまったのではないだろうか。
エッチな本を親に隠れて読むとは親を出し抜いた時であり、クラスメイトのスカートをめくるのは格下の相手に自分の欲求を押し付ける時だ。
なにより今の世の中ではスケベなものが恥ずかしいものとして扱われている。
それはつまり、スケベなことをするというのは相手に恥ずかしいことをさせること、辱めることへと結びきがちであるということだ。
そうやって少しずつ「性的な場面」と「自分の欲望を環境に押し付ける場面」が結びついてゆく。
気づけばいつしか支配したいという欲望が性的な欲望を、性的な欲望が支配したいという欲望を連れ動くようになっていく。
やがて世の中には無数の支配欲と性欲の結びついた人間が溢れていく。
痴漢というシチュエーションに対して「嫌がある相手に無理やり行為を迫る」という興奮を覚えてしまうような人種が。
彼らが一部の特殊性癖であるという自覚を持って行動してくれるならいいが、どうも人数が多すぎて大手を振って暮らしているようにみえる。
これは実に迷惑だ。
イケメンといえば福本伸行のアカギのような細長くてやたら体の尖った人間だと思いこんでいる連中や、とにかく女の胸がデカくて男のチンコがデカイことがエロさとして優れていると思い込んでいる連中のように自分たちこそがマジョリティであると言い張るあの態度。
実に気味が悪い。
予備動作もなくゲイポルノやスカトロジーを表向きそうとは分からない作品にいきなりぶっ込むことを躊躇しない輩の配慮の無さ、それを一般向けの作品でもやってみせようとする連中の常識の壊れぶり。
それがどうしようもなく鬱陶しくてアレルギーのような反応が起こるようになってきた。
勘弁してくれ。
誰もが支配欲と性欲が結びついてなんてない。
子ども自体に聞かされた性的なものを恥ずかしいと思えという杜撰な教育方針をいつまで引きずって、相手や自分が辱められることこそが性的な行為なのだと思い込み続けるのをやめろ。
また、一般的な性癖じゃないことを自慢気に語って面白いと思うのは、自分を嘲笑せることでしか承認欲求を満たす手段を知らない哀れな底辺掲示板の住人ぐらいだと知れ。