はてなキーワード: 加虐とは
正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。
最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である。
被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。
当方、現在アラサー。祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人は製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。
在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。
そもそも、母親は子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレスで精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行で罵声を浴びせかけた。らしい。
「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体の記憶はある。
大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。
思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。
家からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。
母からの虐待の記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。
勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである。
小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母からの虐待が止まった。
どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。
道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。
僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。
心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。
先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。
とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいか分からなかったが故の虐待だったのだろうか。
それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。
結果、どんな子供が出来上がるか。
自己中コミュ障チー牛オタクの誕生である。物心つく前からの虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ちも理解できなかった。
そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOとネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である。
中学生時代は黒歴史そのもので、学校ではオタク友達とボカロと歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。
この先の話に大事なことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリとレイプ物の動画や同人誌にのめり込んだのだ。
後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。
そんな歪んだ僕は、ネカマと公言している当時高校生の男の子と、マビノギで結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。
あまり詳しく書くと、コミュニティガイドラインに抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。
時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪。
1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院に送致された。
結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分が幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。
何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。
僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。
自分の感情を抑える術も知らず、何時しか、自己正当化するようになっていた。
相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。
ここまでは、割とある話だと思う。小学生中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。
だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存症であるらしかった。
もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。
「依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存は代替が効く」という違いだと言う。人は電車やバスに依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。
依存症患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。
僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。
話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分を矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。
道行く美女或いはタイプな女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的にダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。
「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。
自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。
よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述や発言は、認知が歪んでいないと出てこない。
こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。
僕の通った精神科では、専門の性依存症カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。
認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間からの第三者視点を交えて、初めて矯正できる。
1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点は自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。
ストレスが関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、
性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのである。ご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。
だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。
話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在は性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味や恋人とのコミュニケーションでストレスを上手く解消している。
ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分の感情や欲求に振り回されることは無くなった。
しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。
事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。
ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。
「傷つけた被害者のことや、被害者の家族のことを考える必要は無いよ。関係ないから。」
僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。
けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。
僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者が幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。
なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者は幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せに成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。
そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。
理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。
性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。
少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。
ただ、僕にも曲がりなりにも過保護なバカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか。
いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである。
だから、最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズでケーキを買う。
これで良いのか。これで良いのだろうか。
色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会に迷惑極まりない。
二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親にあんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。
拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう。非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。
ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。
恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。
被害者に関しては、捕まった後に賠償金や謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。
総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。
金出したとしても直接的に犯罪に加担しなければ問題ないと解釈するのが一般的でしょう。
ジャニでいえば「このCDは僕の少年加虐のためのお家購入に使うよ」って公言されてて、当該CDを買った場合が直接的な加担と言えるでしょう。
しかし、過去の判決で犯罪が事実であったとされていても、犯罪を知った消費者がジャニに金を落としたとしてもそれが犯罪に使われると決められた訳ではないし、犯罪者が今後犯罪を犯すかも決まっていません。
個人的な考えの元、犯罪になるかもしれないからお金を出さない、実際に不買行動をするというのは自由にすればいいですが、それを他人に強要する権利も、同じ行動をしていないからお前も加害者だ、加害者に加担していると主張するのは無理があると考えます。
たとえば水着で男だけ乳首を出すのが恥ずかしいといっても一昔前はまだまだ通用しない時代だった。
今でこそ徐々に意識が変わっていっているものの、男性の性的な恥ずかしさは女性と比べて軽視されている。
緊急時の男児の立ちションはパパッとすませなさいレベルだし性教育も女児のほうがずっと丁寧に扱われている。
男は男なんだからと器量がありおおらかであることが求められてきた。
パンツだとて女性のブラジャーや同じ下着のパンツとは雲泥の差がある。
数や知名度に差があるとしても山田尚子とかの女性アニメ映画監督は並べない。だって女性のパンツの脱ぐ脱がないをイジるなんてとってもキモくて許されないからだ。また、それと同時に挙げられた男性監督は性別上、万が一、さらに立場上、億が一にもこれに苦言を言わないだろうという暗黙の了解の打算が無意識にあるのだろう。
「パンツを脱いだ・履いた女性アイドル」だったら冗談でも気持ちが悪いと大バッシングだったろう。
業界的にパンツ文脈に(古くから)意味があるなんて擁護は人権並みに無意味だ。
この話題が男性への性的加虐である可能性を誰もほんの少しも触れていないのは、長い長い長い長い時間、男性たちが耐え忍び続けていたからだ。
フェミニズムやColaboでにぎわうのも結構だが同時に男性視点も忘れてはならない。これもジェンダー問題だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230130175913
前に「生まれた環境に恵まれなかった子供たちの支援に関わっていたけど、あいつらクズばかりだ。途中から『もうこいつら不幸になろうがならまいがどうでもいいわ、養分として搾取されて生きろ』と思い始めた」と言ってるエントリが話題になってたけど、
それは虐待被害者が被害により、虐待に遭いやすい性格に育ったからじゃないかと思う。
こんな話を読んだ。
http://www.kitimama-matome.net/archives/59904730.html
虐待に遭った知人がいる。
暴力とか暴言とか、性的なこと以外で思いつくようなことは全部されてた。
就職して実家を出たと思ったら、そこもブラックな職場だったようで、上司が家に平然と出入りして、趣味のもの(オタク系の趣味があった)を取り上げ、キショい等等の人格否定に遭ったらしい。
苦労して集めたDVDなどを勝手に捨てられたり、ゲームを無断借りパクされたり。(窃盗では?)
知り合い総出で、今の状態はおかしいから病院に行け、仕事も辞めろと説得した。
できれば引っ越して、実家とも絶縁しろという話になり、その人は結局、知人の助けの上で引っ越して転職した。
でも、その後もトラブルは絶えなかった。
何故か新しい職場でも似たような事態になり、ひどいと医者までもがその人に暴言を吐くという。
私はあまり親しくはなかったが、その人の親友とよく話す機会があった。
話を聞いては、なんでそんな事になるんだ?と毎回不思議だった。
数日前、本人と話す機会があった。
もう信じられないほど卑屈になっていて驚いたんだけど、
それより、話しているうちに、私自身がどんどんおかしくなっていく気がした。
うまく言えないんだけど、その人と話してると、何でもその人が悪いような気になっていくんだよね。
何でもかんでも、こじつけみたいな事で自分のせいですごめんなさいって謝り出す。
今日天気悪いねーと言えば、自分がこの日を指定したから、天気悪い日に外出させてゴメンナサイ。
移動で電車が混んでたら、自分との移動に煩わせてゴメンナサイ。
あのアニメ見た?→見てませんゴメンナサイ、自分が無知で話の腰折ってゴメンナサイ。
何が食べたい?→何でもいいです気を使わせてゴメンナサイ。
謝る事ないよってその都度に落ち着かせてたんだけど、なんか段々、面倒になっていってしまうんだよね。
ほんの数時間一緒にいただけで、なんでこいつこんなに卑屈なんだ?面倒臭いなと思ってしまって、
その内に段々と、本当に詐病なんじゃないかとまで思い始めてしまった。
実は全部この人の虚言で、可哀想がって欲しいだけなんじゃないか。そんなのおかしい、私は貴重な休日にこの人を慰めるのに苦労してるんだから、やっぱ本当に謝らせた方がいいのか、と。
絶対にそんなことはないってわかってるのに。
逆洗脳?とにかく、どんどん加虐的な考えが浮かんでくるから、とても怖くなってしまった。
今、その人をブロックしようか迷ってる。
その人が被害者なのは間違いないんだけど、下手に助けようとか思って関わってたら、自分がその人を虐げる側に行きそうで。
でもブロックも十分酷いことだよな…やめた方がいいのか…って、ずっとぐるぐるしてる。
この話から、被害に遭った人は被害を呼び寄せるように変容する、という仮説を得た。
何度もDVされる人、何度も浮気される人、何度もいじめられる人、何度も性被害に遭う人、そんな人はよくいる。生家でも虐待に遭い里親家庭でも虐待される人も…。
あの増田が関わった、親に恵まれない子供達も、虐待に遭っているうちに「こいつ本当にクズ」と思わせ、虐待や搾取を呼び寄せたり「虐待や搾取されても仕方ない」と思わせるように自分を変容させたのだと思う。
ツイッターにもいるだろう。○○に攻撃され、その○○という属性を嫌うようになり、益々○○から攻撃される人が。被害は連鎖する。
虐待被害者がDVするような配偶者と結婚する。これも自己変容の結果だろう。
性被害に遭ったことのあるはずの彼女が、露出の多い服装で夜中に出歩き、平気で男の家に上がる、本当に被害にあったのか?という相談も見た。
「性被害に何度も遭うのは、性被害によって性犯罪に警戒するレーダーのようなものが壊れてしまうから」という分析も見たことがある。
「痴漢にあったら絶対に警察に突き出してやる」と思っていると不思議と痴漢にあわなくなるらしい。加害者は、被害に遭いやすい人の負のオーラを目敏く感知する。
力を加えられたものが、壊れる代わりに凹んだり歪んだりするように。
綺麗だと言い続けると綺麗になる。成績を褒め続けると成績が伸びる。となると、その逆もあるのだ。
負のピグマリオン効果とでもいうのか。
「被害者は加害者を恨まない」という記事で言われていたが、加害者を恨むより「自分は被害に遭っても仕方ない人間なのだ」と思った方が楽だ。
そして被害者は、「被害に遭っても仕方ない人間」になるように自己変容させる。
断っておくが、「被害者が悪いのだ」と言いたいのではない。加害者が悪いに決まっている。
被害者を変容させ、幸せから遠ざけてしまうのだから、加害者は一層許しがたい。
それに、加害があるたびに「どうせ被害者に原因があるんだろ」ということはできない。被害者がどんな人間だろうと関係なく加害する人は当然ながら沢山いる。
「被害者の自己変容論」が、加害者の言い訳に使われそうな仮説だということは承知だ。だが、むしろ加害者へのアプローチには使えないか。
虐待する親は「あの子は本当に馬鹿で悪い子で苛つかせてくるんだ!あの子が悪いんだ!」と本気で主張する。DVする奴も同じ。
そんな時「あなたが虐待するから、益々その子はあなたを苛つかせて虐待されやすいように自己変容するのです。あなたのせいです。あなたが変わりましょう」と自己変容論を用いて説得することはできないか。
そんなエサに釣られクマー…
退勤で隣に立ってる臭ぇオッサンが孤児院に多額の寄付をする善人かもしれんし、職場の気配り上手なお姉さんが何回もDV彼氏に堕胎させられている依存症かもしらんし、近所の笑顔が素敵なあのひとが毎日薬を何十錠と飲まないといけない鬱病患者かもわからん。
増田が違うのであれば、むしろ増田こそマイノリティの立場にあることを自覚した方がいいね。
…で、なんだっけ??
大丈夫、増田のこれまでの人生でなかった初めての体験で驚いているだけさ。
ボクシング好きなひとも街中で他人を殴らんし、サスペンスドラマの視聴者だって猟奇的行動は取らない。
ドラクエ夜通し遊んだら、人間倒したらゴールド取れそうとか思っちゃうタイプ??
ちがうの…?
じゃあ、良いじゃん。増田の奥さんだってそんな簡単なことくらい分かっているよ。
スプラトゥーンというゲームが好きであって、街中でペンキぶち撒けるやつはいないのよ。フィクションの世界のフィクションの出来事として、君の奥さんはちょっと日常から離れた刺激がお好みなの。
増田は知らなかったことにびっくりしちゃっただけ。増田の前にいる“実在する奥さん”を信じろ。
そして君はそんなパートナーを秘密を暴いたことを100万回後悔しやがれこのクソ野郎がぁぁ!!!
絶対、他人の秘密についてそれを見たことを明かさず悟られず、墓までもってけ人間不信のクズ!
増田は自分の欲求のために大切な妻の秘密、それも隠し通していたかった秘密を暴いた極悪人であるので、その罪を自覚し、贖罪としてより多くの愛情を妻と家族に注ぎ、その愛を表明し、行動に移し、みんなでより幸せになってください。
https://anond.hatelabo.jp/20220415232730
こういうことに薄々気がつきながらフェミツイを漁ってた。でも、ヲチし続けるにつれて同情というより加虐したいと思うようになった。
さらにトラウマを与えて、先鋭化させたくなる。仲間がいなくなったところを拉致して酷いことしたいとか考える。社会的に更なる仕打ちもしたい。幸せになったフェミ 、元フェミのトラウマを掘り返したいとかも思う。
これは反射的な欲で5秒すれば落ち着く。昔はなかったもので不安になる。なんでこんなことを考え出したのかわからない。こわくなってジェンダー論界隈を視界からできるだけ排除するようになった。
某所で取り留めなく書いた物です。備忘録も兼ねて日記にしてみたいと思います。
今更だけど業・卒は一度ハッピーエンドを迎えた話のバッドエンド巡りを何度も見ているようでやっぱりつらい
そのハッピーエンドと思われていた祭囃しが「実は問題残ってますよね?」って当時から言われていたから続編を作るならこういう沙都子周りを掘り下げる話になるのは納得なんだけども
100年間身内で殺し合ったり特殊部隊に殺されてきた雛見沢の住人が最後の最後でやっと皆協力して最高のハッピーエンドを掴みました!って話の続きでまた仲間を疑ったり殺し合ったりしてますって、竜騎士07さん鬼だよ
最近「最終的に沙都子は許されるのか(許されて良いのか)」という事がよく話題になっているけど
罪滅し編で圭一が過去の罪を仲間に打ち明ける件で沙都子が言った
「前の町でどんな善行を積もうとも、こちらに来て嫌な人だったなら、前の町の善行なんか知ったことじゃなりませんわね」(※逆もまた然り)がそのまま業・卒での沙都子にも当てはまるんじゃないかと思う
「…ふーん。…梨花ちゃんはお勉強家だからすごい素敵な大人になれそうだな?」
「……もちろんなのですよ。ボクは大人になったらスゴイスゴイのです。」
「あぁら、私も大人になったらすごいレディーになるんですのよ~?」
「沙都子はいくつになってもお子様だと思うぞ。賭けても良い。」
なんて業での高校生編を見越したような掛け合いが原作綿流し編の時点でもうあったというね…
恐らく梨花ちゃんと沙都子は将来的に道を違えるだろう事は初期の初期から構想にあったんだと思う
仮に今回の業・卒みたいに沙都子にループ能力が与えられなかったとしても
ループを繰り返して精神的にはもう子供とは言えない梨花ちゃまと良くも悪くもいつまでも子供らしさを残していそうな沙都子だと、絶対どこかで反りが合わなくなる日が来てもおかしくなかったよなってむしろ凄く納得した
カレーの悪戯や少々過激すぎるトラップなんかもそうだけど、沙都子は少々他人に対して加虐的すぎる面もあったし
「死ぬ事で何度でも同じ世界をやり直せる能力」を得た時部活メンバーの最も能力の乱用に歯止めが利かなくなりそうなのが沙都子なのも分かる(次点は罪滅しレナと目明し詩音?)
祭囃し編でも沙都子がかつて犯した罪が成算された訳じゃない、という所も合わせて
業・卒の沙都子は旧沙都子と別人じみてるって感想をよく見る
自分も卒を見ていて「沙都子って仲間に対してここまで残酷になれる子だったっけ…?」と感じる時もある
でも今の沙都子って昔の沙都子とまるっきり別人なんじゃなくて、考えたら沙都子って確かにこうなる可能性は昔からあったな…って納得が行くんだ
例えば梨花ちゃまに対するあの加虐はルチーア入学後二回裏切られたってだけでは説明付かない気もするけど
ひょっとして沙都子って昔から親友の梨花ちゃんの事をずっと嫌いだったんじゃ?って考えると妙に腑に落ちるんだ
梨花ちゃんと沙都子が同い年の女の子である事にも関わらず梨花ちゃんは村中から愛される恵まれた女の子で、逆に沙都子は村中から白眼視される嫌われ者であまりに差がありすぎる事は旧作でも描かれていたけど
幾ら親友で当人には何の落ち度もなかったとしてもこれで嫉妬せずにいられるかって言ったら無理だと思うんだ
梨花ちゃんの方はループの経験で成熟している分沙都子の事を「対等の友達」とは見てないし、どちらかと言えば可愛らしい子供とかペットとか、「好きではあるんだけど自分よりは格下」の存在として沙都子の事を見ていたし
梨花ちゃんと沙都子の関係って、AKIRAの金田と鉄雄のような、「仲の良い友達なんだけど明確な序列は存在する」下に見られている側の子が常にもう一人に劣等感と不公平感を抱えているタイプの関係だったんだと思う
鷹野さんが沙都子に自分に似た物を感じていたのも梨花ちゃまに対して劣等感を持つ者の共感だったのかなと
綿騙し編の魅音に対して沙都子がやたら冷酷だったのも、雛見沢症候群を発症した事が無い魅音が発症する所を見てみたいって好奇心だけじゃなくて、沙都子が元々園崎家を大嫌いだったからあんな事をやったんじゃないかな
沙都子からすれば園崎は北条を村八分にして沙都子と悟史を虐げるよう村中に命令した明確な敵だから、
表向きは仲良く付き合っていても普段から魅音に対して良い感情を持っていなかっただろう事は分かるし
鬼明し編で口だけとはいえレナに対して少し申し訳なさを見せた沙都子が綿明し編で魅音を足蹴にしてるのを見て「この子本当に魅音の事が嫌いなんだな…」って思ったもん
卒での沙都子のムーブは梨花ちゃんと魅音という自分より上位の存在に対して上に立ちたいというマウンティングが大いにあったような気がする
今の沙都子は梨花ちゃまが自分の制御下に入りつつある事が嬉しくてたまらないんだろうなぁ
あの二人の関係って友達としてお互いを認め合う対等な仲って感じじゃなくて
どちらが上どちらが下と明確に決まっていないとお互い納得行かない関係なんだろうなって思った
梨花ちゃんにとって沙都子は下の存在だし、沙都子にとって梨花ちゃんは自分をずっと見下してきた存在だから今度は自分が見下す側にならないと我慢ならないと…OPでバトルしてるのはそういう事なんだろうか
そういう意味でやっぱりあの二人って相性が悪くていじめっ子といじめられっ子って関係が素なんだろうね
今回の沙都子が語った沙都子が村中から虐められているってあながち嘘でも無いのが因果だと感じた
皆殺し編以前のカケラだと沙都子は雛見沢住人で一人だけ村中から嫌われ露骨な無視とかされてきた訳だし
今回の鉄平への村人の陰口も以前は沙都子がターゲットだった訳で、沙都子の村への恨みは根深いと思う
ループの影響で皆殺し編のように村全体が沙都子の事を思っていて鉄平も改心した今のカケラで祟殺し&皆殺しを再演しようとするのが今のルーパー沙都子の悪趣味な所だけど
沙都子は丸くなった今の鉄平を利用する事に良心が痛まないのか?ひょっとしたら情に絆されるんじゃ?
って予想が郷壊し編の時に結構あったけど、沙都子って虐待の記憶がフラッシュバックするくらい鉄平への恐怖心を持ってるし今も利用するために嫌々付き合ってるだけなんだと予想してるなぁ
沙都子は「以前がどんな善人でも今が嫌な人なら以前の事なんか知った事じゃない」みたいな事を罪滅し編で語っていて、それはつまり「沙都子は昔の事を気にしないタイプ」なんだと解釈する事も出来るけど
沙都子から見た鉄平って「去年まで自分と兄をとことん苛め抜き100年分のカケラで一度の例外もなく自分を虐待した人」なんだよね…トラウマに今でも苛まれているし沙都子にとって鉄平って現在進行形で「嫌な人」なんだと思う
上でも言われてるけど自分を虐められっ子の被害者だと思ってる沙都子が、かつて自分を虐めた事のある加害者を害したり利用する事に良心が痛んだり情に絆されたりなんてする訳ないよなぁと…
BL無罪や腐女子無罪、女はか弱いものだと喚きながら、主に男性作者・男性ファン向けの表現(多くは女性)を攻撃するわきまえない女が嫌いだ。女の身としては単なるインセルによるミソジニー、トランス男性によるシス女性への加虐などには反対だ。しかしコンビニからエロ本を、献血からコラボ作品の巨乳女性などを排除したことで何か良いことはあっただろうか。
女は出産機能があるために肉体的には弱いと考える。それにより現在経済的にも弱くなりやすいとも。けれど、それと男性や少年のためのジャンルを侵略することは関係ないのではないだろうか?少年漫画に好みの男性キャラがいたからと言って、勝手にゲイにして作者や出版社に知られるようなのは女性による文化盗用とも言えないだろうか。BLや腐女子が男性と同等に迫害されないのは、女がとるにたらない存在だと認識されているからではないのか。将来的に女を表現の場から削ったところで、インセルやミソジニストが増えるだけではないのか。女性によって男性は被害者と考える、必要以上に被害者意識の高いミソジニストが増えれば、今以上に痴漢など女性が被害に遭うことが増えたり、被害が拡大することは考えられないだろうか。名誉男性といわれそうではあるが、ミソジニストを増やすのは当の女性の言動による部分もあるのではないのか。女性の幸福のためには、男性を大切にする(=差別や迫害をしない)ことも大切だと考えるのはおかしいだろうか。女性活躍は大切でも、男性を踏み台にしてのそれは意味がない。女性にとって、本当に得になるのは何なのか。