はてなキーワード: TBとは
それは好きなタイプがいないから嫌いなタイプを見ざるを得ないという主張なのか。それともTB先の間違いなのか。
好きなタイプがいないなら、独りでいればいいじゃないか。
何のてらいもなく増田のトラックバックはコミュニケーション方法だと受け取ってた
自分に気が付いて目から鱗が落ちたわ。
自分のブログでコミュニケーションのためのトラックバックもらったら、対処に困る
&ちょっとむかつくのを想像できるだけに、この切り替えはなんなんだろうな。
これでできるので特に問題ないんだけど、すっごくメンドクサイ。
何かもっと簡単な方法があるんじゃないかと疑問に思ってました。
ヘルプをみてもほとんど何もわからないためこちらで質問。
みなさん、トラックバックってどうやってるの?
ボクの場合は、
これでできるので特に問題ないんだけど、すっごくメンドクサイ。
何かもっと簡単な方法があるんじゃないかと疑問に思ってました。
どっかをクリックすると自動的にその記事へのTBが打てる、そんな機能。
皆さんどうやってTB打ってます?
あ、タイトルにhttp://anond.hatelabo.jp/2007xxxxxxxxx って貼るの、わかりにくいから止めたほうがよくないですか?
http://anond.hatelabo.jp/20070905175644 (TB忘れてた)
http://anond.hatelabo.jp/20070905201629 (こっちの方がいいのかな)
いや、冗談でなくてさ。
鉄の棒の片方を叩いて衝撃波が伝播しますってのは因果なわけだけど、鉄の棒が「そのとき私の体を衝撃が突き抜けたのである」なんて思わない。
とても複雑な機構に組み込まれた自己を観察できる機構が自己を認識した時にその機能が意識として表れるんじゃね?
あんまり意識してなかったんだけど、TBしてくれた増田の意見を見てると、やっぱり洋菓子って難しいのね。分量とかって、あまり考えたことなかった。適当にバター減らしたり、薄力粉増やしたりして遊んでた。どうりで自分でも成功例が少ないと思った。ちなみに元増田の言う「洋菓子」は一応、バターケーキを意識しちょります。クッキーとかスポンジケーキなら分量が異なってきます。
それでも失敗例は数知れず。
http://anond.hatelabo.jp/20070829100649の続き。
何だかえらい数のブックマークが付いていて驚いた。色々なコメントを頂いたが、どれも面白かった。それを読みながら考えたことがあるので、蛇足だろうけど少し書いてみる。
もし仮に、私が高校生のときに自分自身の文章を読んだとして、今の自分よりも賢い人生を送れる自信は無い。むしろ、軽く聞き流して忘れてしまう可能性のほうが高いように思う。自分がハーバード?MIT?寝言にしたって恥ずかしいくらい現実味の無い話だ。別世間の苦労話を聞かされたところで、せいぜい世の中広いのねと思うくらいのものだろう。
実のところ、似たような話をしたのはこれが初めてではない。大学生に話したことも何度かある。留学を既に考えている学生には大いにウケたが、そうでない学生からの反応は薄かった。特に複数の学生に同時に話した時には大概うまくいかなかった。誰かが「すごいけど俺には無理っすよ」と言うと、あっという間にその空気がグループ全体に伝播していく。「俺たちには無理ですよ」という言葉を使った奴すらいた。恐らく、仲間からの賛同の言葉を待っている。多分無意識のうちに。それは仲間関係の確認であると同時に、自分のいる階級の自己修復でもある。それが社会に縛られると言うことでもある。このセリフが出たらもう手遅れだ。彼らはもう意識のなかでこちらの話を「あり得べき現実として想像すべくも無い別世界のエピソード」として切り離してしまっている。何を話しても、それはエンターテインメント以上にはならない。それでも情報が頭の片隅に残る分だけ、まだマシだろうと思ってしゃべるのだが。
前のエントリーで、先生の言葉で普通科から国立大に進んだ話にTBを送った。これは半ば確信を持って言うのだが、この先生は他にも何人もの生徒に大学進学を勧め、そしてその大半からあっさりと断られていると思う。「大学に行ってもしょうがない」「息子をそんなところに行かせても遊びほうけるだけだから」「別に俺も大学でやりたいことなんてねーし」。上では友人の間で行われた「階級の再確認」が、ここでは親子の間で行われていく。大学に行くと言うことを想像できないのだからしょうがない。後はその「大学に行くなんてあり得ない」という気分を補強する言い訳を見つけてくるだけだ。この世の中、大学に行くメリットもデメリットも、情報は腐るほど供給されているが、もうデメリットの部分にしか目が行かなくなる。私が本屋で留学ガイドをあっさりとスルーしたのと何も変わらない。そういえば私も「留学なんて、暇と金があっておつむの弱い女子大生が語学留学に行ってるだけでしょ」とか思っていた。
結局、私が何がしかの想像力を身につけられたのは、就職して「留学なんて当たり前」と言う空気に触れてからだった。留学経験がある上司も後輩も、それが特に話題にならないほどたくさんいた。そして彼らはもちろんみな優秀だったが、目がふたつ、鼻の穴もふたつある普通の人間だったし、能力的にも絶望的な差があるとまでは感じなかった。私が留学の可能性というちっぽけな「想像力」を手に入れるためには、そんなイニシエーションが必要だった。(もちろん、そこまでのイニシエーションを必要としない人もたくさんいるのだろうが。そういう人は素直に尊敬する。)
世の中には社会が無数にあって、その中で人々は想像力を縛りあっている。仲の良い友達、子供思いの親、そんな全てが想像力を縛る。私にはそれこそ想像も付かないが、親が両方ノーベル賞を取っていたり、親が両方プロのアスリートだったりすれば、また別の方向に想像力は縛られていくだろう(それが幸せなことかどうかは知らない)。プロのピアニストとか、そういう縛りがないと辿り着けない世界だってある。その想像力の縛りが格差となって現れることは前回書いた(というか、この人が書いた)。だから、世の中には格差が無数に存在する。それに、この格差が上流から下流まできれいに並んでいるわけじゃない。ピアニストを親に持ち、4歳から英才教育を受けた子供に、もし天賦の才能が欠けていたとしたら、その子供は必ずしも幸せとはいえない。普通に受験していたら高給取りになれたかもしれないのに(その頃には、本人自身そういう生き方に興味を持たない育ち方をしているだろうが)。
そうして生まれる格差のほとんどは「社会問題」としては認知されない。イェールの学生がハーバードに対して感じた格差は救済の対象にはならないし、私の知った格差を救済してほしいなどと考えたことも無い。ブックマークのコメントにもあったが、救済の対象になる格差は低所得者との間に存在する格差だけだ。つまり、最近盛り上がっている議論は「格差」についての議論じゃない。皆が議論しているのは「貧困」だ(貧困を相対的なものと捉えるならば、これは「低所得者と中産階級間に存在する所得格差」と同義となるが)。ブックマークのコメントで「今の議論とは関係ない気がする」というコメントがいくつかあったが、これは私が「格差」という言葉を一般的な定義で使ったのに対し、多くの議論では貧困の同義語(より狭義の格差)として使っているからだ。
「それなら関係ない話にTBするな」と言われそうだが、それでも前のエントリーを書いたのは、想像力の縛りが格差を生む、というメカニズム自体は貧困の話にもそのまま使えると思ったからだ(貧困は格差の一種と考えるなら、当然そうなる。ただし、所得格差の一部は想像力とは関係なく発生するが)。貧乏人は合理的じゃないかもしれない、という記事をこの文脈で考えてみてもいい。それなら、貧困ではないけれど格差に直面して得た経験と自分なりの結論は、ある程度の普遍性を持っているかもしれない。そう考えたからあのエントリーを書いた。もちろん、救済の対象にはならない様々な格差(特に、留学に関する格差)に直面している人たちにも届けたかった。役に立つかどうかは分からない。それは個々の読み手に判断してもらいたい。
====================以下、想像力とは関係ない話============================
ブックマークに付いたコメントはどれも面白かったし、納得できるものも多かった。ただ、『個々人の人生のサバイバル術と社会問題をまぜるな』というコメントに賛同が多かったのは気になった。私は個々人の生き方は周りの社会の在り様にどうしても左右されてしまうと信じている。それは個々人のレベルではどうしようもない。だからその中でベストを尽くすしかないと書いた。だからそれを持って「混ぜている」と言われているのなら、そうですか、としか言えない(何が悪いのか分からない)。
どうもよく分からないので、同じ人の書いたエントリーを読むと、大上段の議論をしていない(否定しているかのように見える?)のが問題視されているようにも見える。だが、むしろ、議論の視点として『個々人の人生のサバイバル術と社会問題をまぜるな』というのは、私が他のいくつかのエントリーを見たときに感じたことでもある。
個々の例からは個々の含意しか得られない。私が先週下痢で苦しんでいたのは、私と診てもらったお医者さんにとっては問題だが、社会問題じゃない。でも、もし市内の住民の3割が同時に下痢になったら、それは社会問題だ。市役所が税金を使って防疫したり、隔離したり、予防措置をとったりすることになる。このふたつは全く次元が違う。私個人の下痢についての経験から「あの果物は日本人には合わないから止めておけ」とは言える。けど、市役所のワクチン投与プログラムの策定について私の下痢は何も語らない。だから、私個人の経験談によって成り立つ話は、「問題のある社会に住む個人の生き方」以外の結論にはたどり着かない。大上段の話には繋がりようが無い。
むしろ私は、個々の「不幸な話」を持ってきて、そこから「格差社会」を語ってしまうケースが多いことの方が気になる。もし社会を語るのであれば、少なくとも特定の「不幸な話」がその社会である程度の普遍性を持っていることを示すべきだ。それから、救済の対象が特定の個人なのか社会なのかもはっきりとさせた方がいい。格差社会を解消しようとする試みが、冒頭の特定の不幸な人の救済につながるとは限らないからだ。前の例でいけば、もし住民の3割が罹患したのがたちの悪い伝染病なら、市役所がすべきことは患者を一箇所に隔離してそれ以上の伝染を抑えることだ。その結果、隔離された患者は孤独のうちに死んでいくかもしれない。患者を救うことと社会を救うことは違う。
両方を同時に救うことが可能だと言う前提に立つのなら、個々の議論と社会の議論を混ぜてもかまわない。ただ、そう主張するなら、それなりに丁寧で具体的な説明が求められると思う。そうでないのなら、大上段の議論の根幹に経験談を持ってくるのは余りお勧めできない(あくまでも一例に過ぎないことを明示しないと議論がずれやすい。統計とかを使ったほうが議論としては分かりやすくなると思う)。
その辺りのフレームワークをおざなりにしたまま議論をしようとしても、「世の中にはかわいそうな人たちがいる」「この社会が間違ってる」と悲憤慷慨する以上には議論が進展しない気がする。
独り言といいつつTB打つって、どんだけ自己主張が強いんだお前さん。
すまんね。なんか、俺が価値観増田に煽りTBつけまくったせいで場が荒れてきた。そこで、もう一つ、煽っておこうかと思い、ここに書きこむわけだ。
きっと価値観増田は現実で自分の価値観を侵害されるような行為を受けた、あるいは見たんだろう。そして、自分の価値観を維持することがとても難しい局面に陥ってるんだと思う。例えば、会社から不法行為を強要されたりとかね。それでも会社をクビになるのは何より恐かったから、今の境遇に関して自分をなっとくさせる必要があった。そのためには自分の価値観をねじ曲げてでも会社に迎合することが、生きるために必要で、それが社会の常識でなければならなかった。
だからこそ、このような公の場で何かを叫ぶことによって、自らが置かれている境遇を一般化できるのではないかと(ry、、、
なんか、自分でも何言ってるのか分からなくなってきた。
http://anond.hatelabo.jp/20070829154125
に対して
http://anond.hatelabo.jp/20070829154723
があって、
http://anond.hatelabo.jp/20070829155715
ときた訳だ。で、男女の差とか理性とか感情論についてのエントリがわっさり。
一番最初のエントリは、女性が恋愛相談に於いて絶対的に女性の味方であることを非難あるいは愚痴っていて、次のエントリでそれは男も一緒じゃないかと問われて、いや、男の方が(恋愛相談では)もうちっと理性が働く、という流れじゃないのだろうか。ところが
理性が働く。
だけに引っかかった人から、恋愛相談から物事一般に拡大したTBがつきはじめて、大混乱。大混戦。大根。
おおもとは恋愛相談の話な訳で、そりゃ感情論を優先してもいいし論理を優先してもいい。どっちでもいい。性差も個人差も当然ある。どっちが優れてるって訳でもない。恋愛って感情主体で動くものだし、でも相手ありきのことだから相互理解のために理屈も必要。声を大にして言いたい。「程度問題」という言葉で片付くじゃないか。
理性的であるべき場面と感情を大事にした方がよろしい場面をそれぞれ極端に並べてどうこういうの、無益だ。
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追記
http://anond.hatelabo.jp/20070829165642
卓見。
なんか荒れてるので敢えてTB付けず。
俺もよく遅刻します。高校時代は余裕の3桁遅刻してました。大学は1分でも遅刻したら欠席扱いでしかも2回欠席したら即不可で留年になる教科を除いて、1限に間に合ったことは無かったと思います。友人との待ち合わせも良く遅刻します。しまくります。でもときには余りにも早く着き過ぎます(45分〜1時間以上)。要するに本当に時間にルーズなんだと思います。一方で、仕事で遅刻したことは皆無ではありませんがあまりありません。疲れが溜まってて目覚まし時計を止めたことにすら気付かないことは稀にありますが、それ以外では大体時間に間に合うように行きます(とは言ってもギリギリだけど)。
さて。
それでも遅刻はダメでしょう。なぜなら待ち合わせの時刻はルールであって、決める時点で同意したメンバーが守るべきものとして作るからです。ルールはどんな理由があろうとも、正当な民主主義に基づいて決められた場合は、民主主義国家の国民としては守らなければなりません(独裁国家の国民は民主主義に基づいて決められていない独裁ルールも守らなければいけない)。ルールを守れない、守りたくないのならばルール自体を変えるしかありませんが、ルールを破ることによって変えることは不可能なので、ルールに則って変えるしかありません。
ただし、ダメだということと、怒るかどうか、制裁を加えるかどうか、罰則を決めるかどうかはまた別の話で、待ち合わせする人達が、これもまた民主主義に基づいて決めるべき事柄であって、一概にはいえません。何分までなら許す、何分から何分までならジュースを奢るとか、そういうのを決めればいいと思います。罪と罰は別物、ということです。
マナーの視点から見てもやはり遅刻はダメです。禁止ですね。決めた約束を破るのはマナー違反です。これに加えて、やはり遅れる場合は約束時刻の前(遅くとも約束時刻5分後まで)に遅れる旨の連絡をするべきでしょう。待たされる側はいつまで待たされるのか分からなければ怒りを覚えますし、場合によっては何かあったのではないかと心配したりします。また、約束時刻だからとりあえず集合場所に来たけど、実はトイレを我慢していたり、喉が渇いたのを我慢していたりする場合もあります。この場合に、予め遅れることが分かっていれば、先に済ませておくことも出来ますので、やはり連絡はすべきです。
これはマナーですので、1人1人の良識に完全に依存するものですが。
まとめると以下の通りです。
http://anond.hatelabo.jp/20070827115911
そこそこ引越しして回ってるつもりなのだが、勧誘に悩まされたことは1度だけ。東京郊外だけだった。
今は下町で引越し直後に勧誘に来た販売店のオヤジと話をしてみたがオヤジも地元の人間だから揉めるようなことはしないそうで不動産屋から流してもらった情報を元に一度お伺いに行くだけなんだそうだ。
酷いのは(恐らく勧誘員商売の多い)東京郊外である。何度もやってきてウソはつくし適当なことを言ってとにかくサインを書かせようとする。一度は契約しなくてもビール券を配ってるというからもらったら契約したことになっていた。詐欺だと文句を言ったら販売店のオヤジ(この人も多分地元の人なんだろう)だけがしょんぼりとすみませんと謝っていた。
それからどの勧誘、口説かれているときもそうだがで理由を言って断るのは最も下策なので注意。
理由を言うのはその障害を解消すれば契約しても(付き合っても)良いという意思表示なのだがその辺を理解していないお嬢さんが多い。
(追記:TB先間違えたが…今更… http://anond.hatelabo.jp/20070827123453)
それをいうならもとかのが元彼に新しい彼女ができたことをかぎつけた、自体憶測でしょ
何について言及してるのかわからんが、TB先のものに対してなら全然読めてないねお宅
事実ってのは単なる事象にすぎないわけよ。
それに対して信じるって行為は事象に対する認識・心のあり方であって、それが間違いかどうかはそもそも問題ではないんよ。
信じる心:アイドルはウンコしないよ!