はてなキーワード: 食料不足とは
トカラ列島の入島自粛問題について、ブクマでは「入島者擁護派」と「入島者非難派」で割れてるみたいなので個人的意見をば。
旅行代理店を通さずに島に入ってくる人(以下、勝手入島者)を非難するブクマーを僕は非難しているわけだけど、誤解してもらいたくないのは勝手入島者を擁護している訳ではないということ。
はっきりいって、キャパオーバーになるという事が分かっていながらインフラもまともに整備されていない離島に、島民の意見も聞かず勝手に入って行くのは非常識だ。だけど、非常識だという事だけで彼らの移動の権利を侵害することは基本的人権を侵害する行為になるので、「来るな」「出て行け」という意見には同意できない。
先ほどから指摘しているが、今回の問題で一番まずいなぁと個人的に思ったのは、勝手入島者を非常識だという一点で非難するブクマー達。中には、「法律で許されているからといって、何をしてもいいわけではない」という意見も出ているが、それは自分自身にも跳ね返って来る問題だという認識に欠けていやしないか。
そもそも移動の自由(正確には居住・移転の自由)は憲法で保障された基本的人権だというのは学校で習ったはず。今回の件は一企業である旅行代理店を通さないと入島を許さないという状況に結果的になってしまっている。勝手入島者が非常識だということだけで、彼らの権利を私企業が制限するということは本来あってはならないことだ。
たとえば、これと同じ事を名古屋市や新宿区等がやったら大変な事になるってのはすぐ想像つくはず。そういう事態に対し少しも疑問に思わない人が少なからずいることに、まず驚いた。
「離島は離島の事情がある」という意見は非常にもっともだし共感するが、憲法上の権利を制限するようなことにはもっと敏感になるべきなのではないかと思う。「名古屋は名古屋の事情がある」と言われたら、そういう人たちは平気で認めてしまうのだろうか?
職業選択の自由を制限することになるかもしれない世襲議員の規制の件もそうだが、最近基本的人権を侵害しそうなセンシティブな事例に対し一般国民の反発があまりみられない。
これは微妙な事例だけど、幸福実現党が結党された時「政教分離に反する!」という意見がたくさんあった。僕も幸福実現党は支持できないし与党になってもらっては困ると考えているけど、その理由として「政教分離」を掲げるのは問題だと思う。政教分離の理念は国家が特定の宗教を弾圧したり擁護するのを防ぐことにある。要するに、宗教団体が与党になったとしても宗教弾圧や擁護はできないわけで、宗教団体が政治活動することは国民への宗教の押しつけにはならないしできない仕組みになっている。
宗教団体やその信者が政治活動を行うことを制限したら、それこそ信仰の自由および参政権の侵害になってしまう。日本国民は無宗教だといわれているが、実際にはどこかのお寺の檀家だったり、神社の氏子だったりする。要するに、大抵の人は厳密にいえばどこかの宗教の信者なのだ。宗教団体や信者の政治活動を批判する際に政教分離を理由にしたら、それは自分自身にも跳ね返って来かねない。
世襲制限にしても、宗教の政治活動にしても、今回の入島の問題にしても、翻れば自分たちの権利も侵害されかねないということをもっと認識するべきだ。
実際に自分自身に害が及びそうになったときに騒いでも、もう遅いのだから。
では、本件に関してはどうすれば良かったのか。以下私見を述べてみます。
今回舞台になったトカラ列島は離島という僻地であり、大規模な人数を収容できるようなインフラは整っていない。そんな所に大挙して観光客が押し寄せたら、島の生活環境が破壊されてしまう可能性が高い。実際、水不足や食料不足、糞尿の処理や急病人の処置など、様々な問題が発生することが指摘されており、最悪のケースでは島民・環境客共倒れという事態もありえる。
このような場合、島民の生命・財産を保護することは移動の自由よりも当然優先されるべきだろう。よって、「公共の福祉」を守るため観光客の入島を条例なり法律なりで制限することは憲法違反には当たらないのではないかと思う(法律の専門家ではないので、詳しいことは分かりませんが)。
でも、実際に島側でも条例制定は検討していて憲法に抵触しそうなので止めた経緯があるようだ。もしかしたら違憲になってしまうのかもしれなく、微妙なところではある。しかし、日蝕があることはそれこそ前世紀から分かってたわけで、そのへんの調整は可能だったのではないか。
今回の問題を複雑にしているのは、ツアー客は認めるけど勝手入島者は自粛してもらうという不平等な仕組みにしてしまったことだ。
旅行代理店という私企業に料金を支払ったものだけが正式に入島できるというのは、はっきり言って非常に異常な事態であると言わざるを得ない。
ここはやはり、島(村)が公的に条例を定めて一律に入島税を取るなり、島民以外は入島を制限してしまう等の対応を取るべきだったのでは無いだろうか。旅行者対応は島の人員だけでは対処しきれないだろうから、そういった業務は今回のように旅行代理店に委託するという形をとればいい。
憲法に抵触するかもしれないという認識は島側はちゃんと認識しており、勝手入島者に対しては強制的に排除するわけでなく説得というかたちを取られているようだ。これに関しては慎重な判断をしており問題はないと思う。ただ、迷惑をかけるような人間は排除してしまって構わないというような印象を与えてしまったことは、非常に残念だった。
一律に制限はせず代理店を通しての登録制にしたのは、恐らく多くの人に日蝕を見てもらいたいという島民の暖かい心情から起きた事なのだろうと思うが、それに対しもう少し配慮をして頂きたかったというのが僕の意見である。
というか、一番の問題は勝手入島者は迷惑な存在で排除してしまって構わないという印象を与えてしまうような記事を書いたマスコミなんじゃないか。島側はちゃんと個別に説得しているわけで。
そもそもどうして「ドラッグ」を使う必要があるかというと、
幸福感や万能感を「脳内麻薬」なしに手軽にとるには「ドラッグ」が最適。
世界宗教は生きるのが厳しいところで生まれてるのは歴史が証明してる。
家族や友人がコロコロ死んだり、常に食料不足でギリギリの生活なんかしてたら、
宗教で現世以外の救いを求めなきゃ 生きていけないですよ。
そんなやつらには つ「ドラッグ」
が
※一部の密教にはゴニョゴニョ・・・護摩を焚いたり・・・・ゴニョゴニョ
四季はあるし、水も豊富、海に囲まれているので外敵の侵入も最低限。
が
体外から入れなくても、体内で十分です。
ただし油断は禁物。
人間の身体はすぐに「なまける」。
自分で生成しなくていいなら、すぐに作らなくなる。
酒やタバコも含めて
ドラッグをやんな
そして
よく笑って、よく眠れ。
そんだけ
http://www.asahi.com/national/update/0827/SEB200808270011.html
伊藤さんの死を乗り越え、同会はアフガニスタンやパキスタンでの医療活動や農業支援を続けるのか。会見で問われた福元事務局長は「まだ頭が整理できていないが、アフガニスタンの人々のためにやっていること。今回のことで放棄することはない」と静かに語った。
伊藤さんを捜索するため、千人を超える村人たちが協力したという。「伊藤君を含め、現地のワーカーが頑張ってきたから。村人たちの気持ちに応えることが……伊藤君の死を生かすことだと思います」と自らを奮い立たせるように話した。
しかし、現地の治安悪化は間違いない。約20人いたジャララバードの日本人スタッフは4月に半数を帰国させ、年内に残りを帰すことになっていた。現地代表の中村哲医師は「以前は日本人なら大丈夫だったが、4月ごろから対日感情も急速に悪化していた。ここまで伊藤君をとどめた私が悪い」と悔やんだ。
『静かに語った』とか、そういうのやめなさい朝日。
というのは置いておいても、とても残念な話ではある。ご家族の心痛を考えると胸が痛む。
だがそれはそれとしても、というよりもそれを思うからこそ、会の皆さんには再度じっくりと考えてもらいたいと思う。本当に伊藤さんという方の死を生かしたいと思うのであれば、『井戸を掘り、農地を作る』という初志に戻ることを再考してもらいたいと心から思う。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200808170278.html
アフガニスタンとパキスタンで活動する福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」がアフガン東部ナンガルハル州シェワ地区で、イスラム神学校「マドラサ」の建設を進めている。旧政権タリバン幹部を養成し過激派の温床とも批判されるマドラサだが、同会は「地元の要望が強く、貧困層の子供や孤児の養育が目的」としている。
マドラサはイスラム聖職者養成も目的とする寄宿学校で、青少年に聖典コーランの内容や読み書きなどを教える。アフガンでは二〇〇一年のタリバン政権崩壊後、各国NGOが学校建設を進めているが、ペシャワール会によると、非イスラム教国の団体によるマドラサ建設は初めて。
同会は干ばつによる食料不足を防ぐためシェワ地区などで農業用水路を造成。用水路は二十一キロ余り完成し砂漠地帯だった土地で耕作が可能になった。このため、隣国パキスタンに逃れていた難民が続々と帰還、地区周辺の人口が急増しているが、大きな学校がなく、信仰に根差したマドラサ建設の要望が出ていた。
約一万四千平方メートルの敷地に学舎と寮、モスク(礼拝所)を建設中で、今秋にも完成予定。同会現地代表の中村哲なかむら・てつ医師は「貧困層にとって寺子屋と養護施設の役割がある。過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ」としている。(シェワ共同=遠藤幹宜)
中村氏というひとについても、ペシャワール会のひとたちについても、えらいひとたちがいるものだと常々思っていた。だがこれはどう好意的に捉えようとしても捉えられるものではない。マドラサ建設が今回の事件の引き金になったと言いたいのではない。だが情勢がこれほどまでに緊迫している中で、マドラサ建設などということに着手しようとする神経が分からない。宗教に対する感覚が良く言えばおおらか、悪く言えば鈍っている日本人からしてみれば美談なのかも知れないが、少し視点を変えればこのような取り組みは常規を逸しているとしか言い様がないし、そうした常規を逸したことに着手してもなお会の内部からそうした活動を疑問視する声が出ないのだとしたら、これはもうNGOではなく個人崇拝団体だ。
他の報道を見ると、以前よりも日本人に対する反日感情が強まっているのを感じた、というような発言もあり、総合してみると「自衛隊派遣のせいだ」と言いたいのが本音のところか?と勘ぐりたくもなるが、それが理由だと言いたいなら、全く根拠にはならない、とは言わない。
だが反日感情云々と同時に、反イスラム主義感情もあるのだ、という現実にもそろそろ目を転じて頂きたい。アフガンにしろパキスタンにしろ、穏健なイスラム教徒やイスラム教徒の中でも少数派とされる宗派に属する人々がどれほどイスラム主義者達に苦しめられてきたか、もう少し考えてもらいたい。
[ジャララバード(アフガニスタン) 26日 ロイター] アフガニスタン東部ナンガルハル州で26日、日本人男性が武装勢力に拉致された。同州のスポークスマンが発表した。
この男性はダラエ・ヌールでの作業中に拉致されたとみられており、当局は男性の捜索を開始した。
日本のメディアによると、拉致されたのは日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん。
ペシャワール会というのは以前からたびたびその名前を聞いていた。井戸を掘るお医者さんと、彼を支える会なのだと聞いていた。えらいひとたちがいるものだなあと思っていた。ところが何日か前にこんな報道があった。
アフガニスタンとパキスタンで活動する福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」がアフガン東部ナンガルハル州シェワ地区で、イスラム神学校「マドラサ」の建設を進めている。旧政権タリバン幹部を養成し過激派の温床とも批判されるマドラサだが、同会は「地元の要望が強く、貧困層の子供や孤児の養育が目的」としている。
マドラサはイスラム聖職者養成も目的とする寄宿学校で、青少年に聖典コーランの内容や読み書きなどを教える。アフガンでは二〇〇一年のタリバン政権崩壊後、各国NGOが学校建設を進めているが、ペシャワール会によると、非イスラム教国の団体によるマドラサ建設は初めて。
同会は干ばつによる食料不足を防ぐためシェワ地区などで農業用水路を造成。用水路は二十一キロ余り完成し砂漠地帯だった土地で耕作が可能になった。このため、隣国パキスタンに逃れていた難民が続々と帰還、地区周辺の人口が急増しているが、大きな学校がなく、信仰に根差したマドラサ建設の要望が出ていた。
約一万四千平方メートルの敷地に学舎と寮、モスク(礼拝所)を建設中で、今秋にも完成予定。同会現地代表の中村哲なかむら・てつ医師は「貧困層にとって寺子屋と養護施設の役割がある。過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ」としている。(シェワ共同=遠藤幹宜)
科学も思想もところが違えば過激にも穏健にもなる。進化論は科学ということになっているが、一部の人々にとっては過激であると映る。マドラサと一口に言ってもそこで教えられる思想というかイスラム神学というのは地球上どこへ行っても同じというわけではない。そのマドラサで教える側に立つピールであるとかホジャであるとかイマムであるとかの思想背景によって違ってくる。地域によっては女子のためのマドラサというのもある。どのようなマドラサを構想していたのだろうか。
寺子屋が必要ならば学校でよいではないか。養護施設が必要なら養護施設でよいではないか。なぜマドラサである必要があるのか。
ペシャワール会のウェブサイトを見る限り、マドラサ建設に協力しているというような話は一言も告知がない。あくまでも農業支援の話しかない。『過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ』というのは論点のすり替えだ。ペシャワール会のひとたちはどのように考えておられるのだろう。
何にせよ無事に解放されることを祈る。