はてなキーワード: 恐怖とは
何か得体の知れないタイムリミットに押し潰されそうで恐い。何もうまくいかない。やる気もでない。うまくできなかったとしても死にはしないのは分かってる。だが自分は死の恐怖を知らない。だからこそ、失敗したときの周囲の目や叱責に対する恐怖が死のそれを上回ってしまい、それの回避策としての「死」に憧れを抱いてしまう。「死」のイメージを繰り返すうちにそれはだんだんとより具体的な行動や状況といったものを作り上げてしまう。
だから僕は必死で馬鹿になりたいと思った。誰からも期待されず、「お前なら仕方ないな」と言われるような馬鹿になりたかった。そのためには底辺でもなんでもよかったが、自分が何もできないひきこもりだったことを思いだすと、途方に暮れるしかなかった。
偏見のある標準語圏の人間には危険な街であることに間違いないので「恐怖と混沌」は別に間違いではない。現地人は普通に暮らしているが『冷やかし半分のお高くとまった観光客には危険』な街は世界中にあることだし。
→ 全員「心の中にお笑い芸人を飼っている」が正解。あと「理想の人格」はお笑い芸人。
2.会話は全て漫才
→会話は全て漫才「の考え方をベースにしている」が正解。「ボケ/ツッコミ」はコミュニケーションモデルであり哲学である。
3.「なんでやねん」が口ぐせ
→「なんでやねん」を口癖にするには「覚悟が伴う」が正解。ツッコミとして生きるには高いコミュニケーション能力や幅広い視野、高潔な人格が必要であり、何より自己犠牲の精神が求められる。
4.よしもとは大阪で人気のお笑い(TVが祭り上げたから調子に乗ってるだけ)
→大阪では「お笑い」が人気なのであって、「よしもとはその一つに過ぎない」が俺も正解だと思う。
5.ガラが悪い
→標準語圏の人間には「ガラの良い」関西弁と「ガラの悪い」関西弁の区別がつかないので、意味がない。他者との距離や乗車マナーのことを言っているとすれば、それは「ところ変わればマナーも変わる」としか言いようがない。
6.お金にがめつい(あくどく稼いできれいに使うのは美学(例:中央公会堂))
→「宵越しの銭を持たない」東京の方が、普通に考えてグローバルスタンダードではない。
7.おばちゃんパワーは絶大(どこも大体同じ)
→5.と併せて、俺も誤解だと思う。
8.具をぐちゃぐちゃに混ぜて焼くのが大阪風お好み焼き(それは大阪のお店で売っているお好み焼きのこと。一般家庭のそれとは違う。)
→大阪の「安い」店はそうかもしれないが、お好み焼きの標準を論議し出すと長いので省略。だが、お好み焼きは別に関西のソウルフードというわけではないと思う。どちらかと言えばたこ焼きがそう。
9.恐怖と混沌のはびこる町、大阪(東京だって危ない通りの一つや二つはあるんじゃないか?)
→偏見のある標準語圏の人間には危険な街であることに間違いないので「恐怖と混沌」は別に間違いではない。現地人は普通に暮らしているが『冷やかし半分のお高くとまった観光客には危険』な街は世界中にあることだし。
http://anond.hatelabo.jp/20070904095818
最後に10個目を追加
→関西人は「東京人は巨人ファンだ」と思っているのでお互い様。個人的には関西人は阪神ファンに対して社会的に許容度が高いだけだと思う。たとえば、上司が「私はオリックスファンでね」と言ったとしても「仕事場で趣味の話すんな親父」という空気になるのがオチだが、「私は阪神ファンだ」と言ったとしたら、何か急に上司が親しみやすい人格の持ち主であるかのようにみなされ「じゃあ今度みんなで甲子園行きましょっか!」という空気になる(その場合別に課員が阪神ファンであるとは限らない)というような。
http://anond.hatelabo.jp/20070904095818
1はさすがに違うと思ってた(お笑い芸人比率5割ぐらい?w)けど、他はほとんどそう思ってた。いや、8については知らないっていうか気にしたことなかったけどね。
2. 会話は全て漫才
3. 「なんでやねん」が口ぐせ
4. よしもとは大阪で人気のお笑い(TVが祭り上げたから調子に乗ってるだけ)
5. ガラが悪い
6. お金にがめつい(あくどく稼いできれいに使うのは美学(例:中央公会堂))
7. おばちゃんパワーは絶大(どこも大体同じ)
8. 具をぐちゃぐちゃに混ぜて焼くのが大阪風お好み焼き(それは大阪のお店で売っているお好み焼きのこと。一般家庭のそれとは違う。)
とは書いてみたものの、ほとんどが昔話か妄言になってしまうのかなあ。今となっては関西人ですら関西のことを知らない可能性が高い。関東のマスコミが全国ネットで映し出す関西の姿に慣らされてしまっているから。
なにやら一部で「格差社会について語ってるのは下見て自分のポジションを再確認したい、それなりに余裕がある人だ」って話が出てるみたいだけど、自分に関して言うなら、確かに余裕はあるけど、格差が人事だとは思えないんだよね。Fラン田舎大学に通う身として。
就職率はいいみたいだけど、それは地元に町工場が沢山あるからで、そっからの求人が多いから。大手有名メーカーなんて雲の上。将来は青色ですよ、えぇ。
格差に危機意識を持つことはいいことだと思うんだ。保身の意味で。だから、それなりに余裕がある人にも較差について語る資格はあるし、もっと語られるべき。子どもを大学に入れさせられない?さぁ大変、こんなときのために、あの時格差について議論して、奨学金制度について知っててよかったよ!!みたいな。そんな人たちが増えるといいな(^_^)
対応を間違ったとしか言いようがないな。
君はたぶん、白痴に好かれてしまったことの不快感と白痴相手に何を言ってもしょうがないというあきらめの板挟みで自分の感情を昇華できずに、そのままトラウマとして抱えるに至ったのだろう。では君はどうすべきだったのかというと、矛先を変えるべきだったのだ。その白痴の保護者または教育者に対して、あなたがたがこういう行動を見過ごしたおかげで、私は異常な恐怖と不快感に襲われましたどうしてくれるのですかと、壮大に切れてみせるべきだった。なにか反論されたら、その数倍のパワーでもって保護責任者の怠慢をなじるべきだった。それはもちろん相手のためなどではない。自分の気持ちの整理のためにだ。
ここだけの話だが、身に覚えのないことで叱責されるほど辛いことは無いのだ。これを他人に味わって貰う以外に、君がトラウマを回避する方法はたぶん無かった。だが、こうすればたぶん回避できた。
いまさら遅いが。
頭のお かしいヒトに好か れた時の恐怖というのは ほんとうにほんとうにどうしようもない程のトラウマになる。
中学校のころ同じクラスにいた子だったがその子が喋るのをみたことはなかった。
頭の弱い子だった。
何かあると暴れる子だった。
まさかその子に好かれているとはおもわなかった。
あるとき物陰にいるのに気がついた。
近づくと逃げていった。
近づくと逃げていった。
高校時代も。
大学時代も。
延々と無言電話が掛かってきた。
着信拒否にしたら家の周囲の公衆電話から家につうじなくなった。
あさも、ひるも、よるも、しんやも、無言電話が掛かってきた。
保留にして30分放置にしてもつながったまんまだった。
電話に出られなくなった。
よ くわ からない 手紙が たくさんきた。
けしい んなどなく ひら がなで かいてあっ た。
けっこんしたいで すとかいてあった。
さ しだし にんのみょ うじがお れのみょ うじに なって た 。
哲也のス レがトラウマをえぐった。
釣りでよかった。
てかてかてか、本当に釣りでよかった。
振り返る当時の自分に選択肢があったのだろうか。
対処を間違えなければここまで傷を広げることもなかったのだろうか。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm888161
電話でろ。
いやだ! 絶対いやだ!!!
食う、という行為は加虐的な快感をそもそも伴うんだけど、それが「大食い(しかも細くて若い女)」になると1人の1つの行動の中に被虐/加虐の両面が同時に連想されることになって、さらにそれがパフォーマンスとして衆人に監視される、という二重三重の倒錯性があるからな気がする。
要するにおれたちは何でもオカズにできる。ってことだよ。
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ついでに追記
こそばゆさと痛みとそれに対する緊張、恐怖でそれどころじゃない。
その恐怖が堪らないんですよ。というか「身体の大事な場所の安全性を女性に預けている」という感覚が。癒し≒胎内回帰願望だから。
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追記の追記
http://anond.hatelabo.jp/20070822131407
そうそう。風俗とすごく似てる。見知らぬ女性に母性を見出そうとするロマン。
みたいなこと言うとまた怒られるかな?
僕は飛び降りが好きだ。
死ぬと決めて2秒で片が付くからだ(2秒とは約8階から地面に激突するまでの時間である。大体8階ぐらいから頭を下にして落ちれば死ぬことができる)。
しかし、グチャグチャになった死体を目撃してしまった人や後片付けの人のことを考えると、全く迷惑な話であると思い、思いとどまっている。
友人が、自殺は緻密に計画してやらないと傍迷惑なので永遠にDQN呼ばわりされるぞ、と言っていたが、本当だと思う。
緻密な自殺計画を教えてもらいたいものだが、知ってしまったら本当に行ってしまいそうである。
「恐怖で死ぬように出来ていたかった」とは、もう自殺してしまった女史の言葉であるが、本当にそう思う。
恐怖を感じながらも生き続けなければいけない意味とはなんだろう。
どうして兎が寂しさで死ぬように、ヒトは恐怖で死なないのだろう。
わからない。
それってコンパイラがインライン展開してくれれば問題ない気がする。
横からゴメンね。
例えば、画像処理用のクラス(imgClass)があったとする。そのとき、
for (i = 0; i < width; ++i) { for (j = 0; j < height; ++j) { color = imgClass.getPixel(x, y); .... } }
と
int** pColour = imgClass.getPixPtr(); for (i = 0; i < width; ++i) { for (j = 0; j < height; ++j) { color = pColor[x][y]; .... } }
だったら、どーせ自分しか触れないんだったら、後者の方が精神衛生上良くない?
ループの中で一々関数なんて呼んでたら、見た目に処理遅そうだし不安にならない? 単にWinAPIのGetPixelで恐怖心が芽生えただけかもしれないけれど。