「怨念」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 怨念とは

2007-08-01

ねえねえ

おたくクズでしょ?ねえ、クズでしょ

外資からいくらもらってんのクズさん

どうせ

「君たちプログラマ価値観で世の中支配できるよ」

みたいな口車に乗ったんでしょ

そんなに文系への怨念がすごかったの?w

それにつけこまれてんのに気づいてないっ

2007-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20070712210957

すみません。多用します。「死ね」より強い怨念を込めてます。

ああ、本当に死ねばいいのに

2007-06-07

anond:20070607202849

女たちは自分でも気付かない間に、非モテたちに相当ヒドい仕打ちをやってるんだよ。

もう全人格を否定された気持ちになってんだ。

その歪んだ怨念ネットに噴出してるのさ。

2007-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20070530085845ルサンチマン

ルサンチマンって言葉。私のボキャブラリーには無かった。はてなキーワードで見て意味知った。

奴隷道徳」ってことか。抑圧支配された者の怨念から生まれた道徳概念

ネットの暴論やら誹謗中傷ほとんどこれ「ルサンチマン」なんだと感じた。

非モテ童貞モテ叩きもルサンチマンか?

じゃあ逆に、モテ非モテ童貞叩きは貴族的道徳観なんだな。

2007-04-10

文系による豆腐

私の人生において豆腐という存在は真白き立方体という以上の意味を持って私の頼りない自我の上に重く圧し掛かっている。それはあたかも神から下された啓示のごとく、あるいは母親乳房のごとく、避くことかなわぬ圧力となって私を憔悴させる。あの淡白な味わいのどこにあれほどの怨念が込められているのだろうか。豆腐の何が私を畏怖させるのだろうか。私には分からない。分からないながらも私は豆腐を食べる。おそろしいのである。どす黒い醤油に身を浸したあの白い怪物がおそろしいのである。ただの大豆の塊が圧倒的な質量を持って私に迫り、私はただただ食べることしかできない。豆腐とはなんだ、神か、悪魔か。いやおそらくはちっぽけな人間であるのだ。豆腐とは己が身を写す鏡にすぎないのだ。おお、豆腐よ、その絹織物にも似た柔肌を

もう無理。

2007-04-07

ブログは表現の道具から紛争の道具に進化した

anond:20070407203233

ネット紛争に疲れたんだとおもうよ。

怨念にとりつかれて祟り神になったブロガー

2007-03-11

http://anond.hatelabo.jp/20070310223733

ジャパンアズナンバーワン」なころに問題を騒ぎ立てて、外交感情が悪化したら損をするのは騒ぎ立てた方でしょう? そのときに怨念を溜め込んでおいて、日本が弱ってからあらためて持ち出す、という流れは何も可笑しくないと思うのだけれど、どうだろう。つまり「ジャパンアズナンバーワンとかうぬぼれてたころ」に、優位な立場から怨念をきっちり解消しておけばよかった、という話だよ。

靖国教科書バブル前のころにも騒がれてたはず。外交感情が悪化するのを恐れて日本が弱るまでは慰安婦とかの歴史問題持ち出さなかったのなら、弱る前には騒がれなかったはずでは?だから日本が弱るまで怨念が溜め込まれてたとはいえない。それに公式には戦争責任条約で解決済み。怨念とかの感情的なものは政府ではどうしようもないだろうし。

そうは言っても、欧米現在グローバルスタンダードの発祥の地なのだから。数百年前に成りあがって今や国際社会スタンダードな制度になった国々と、ここ百年後追いで成りあがった国を同様に「成りあがり」として扱おう、というのはちょいと無理な話じゃないのかな。

それって単なる差別ではないの?でも日本はすでに同様な成り上がりとして扱われてるんでは?サミットにも参加してるし、非常任理事国にも何度もなってる。

もう少し細かく言うと、僕も日本は産業レベルや文化レベル、制度のレベルでは欧米に追いついたと思う。だけれど、政治レベルではまったくもって未だ「田舎モン」のレベルから抜け出せていないと思うんだよ。これだけ民主主義精神国民に根付いていない国も、先進国の中では珍しいんだから。

欧米民主主義が根付いていて、日本は根付いてないと言うのは何が根拠なの?ただの西洋コンプレックスなのでは?それに田舎もん=反民主主義みたいなのも偏見じゃないか。少なくとも日本などのアジアが劣ってて欧米が優れてるというのは民主主義精神に即してるとはいえないと思う。アメリカみたいな中東民主化のために爆撃しようと言う発想もついていけないよ。これが民主主義が根付いた都会モンと言うことなら、そんなものに永久にならなくていい。

2007-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20070310210040

それに慰安婦問題ってバブルジャパンアズナンバーワンとかうぬぼれてたころに盛り上がったと言うより

バブル崩壊して日本落ち目になってから騒がれだしたはず。

ジャパンアズナンバーワン」なころに問題を騒ぎ立てて、外交感情が悪化したら損をするのは騒ぎ立てた方でしょう? そのときに怨念を溜め込んでおいて、日本が弱ってからあらためて持ち出す、という流れは何も可笑しくないと思うのだけれど、どうだろう。つまり「ジャパンアズナンバーワンとかうぬぼれてたころ」に、優位な立場から怨念をきっちり解消しておけばよかった、という話だよ。

あとドイツイタリアは十分と言えるほどの保証なんかしてないはず。きちんと保証したのはナチスの被害くらいでしょ。

それでもドイツイタリア慰安婦問題のような外交トピックが出ていない、ということは、ドイツイタリアの行動に当事者たちが納得した、ということでしょう。「いくら払ったか」「どれだけのことをしたか」じゃなくて、「やられた相手(と国際社会)が納得したか」がこの手の問題では重要なのだから。

欧米=都会、日本=田舎みたいな思い込みがあるなら捨てたほうがいい。欧米だって所詮ここ数百年で成り上がっただけ。

そうは言っても、欧米現在グローバルスタンダードの発祥の地なのだから。数百年前に成りあがって今や国際社会スタンダードな制度になった国々と、ここ百年後追いで成りあがった国を同様に「成りあがり」として扱おう、というのはちょいと無理な話じゃないのかな。

もう少し細かく言うと、僕も日本は産業レベルや文化レベル、制度のレベルでは欧米に追いついたと思う。だけれど、政治レベルではまったくもって未だ「田舎モン」のレベルから抜け出せていないと思うんだよ。これだけ民主主義精神国民に根付いていない国も、先進国の中では珍しいんだから。

それの欧米日本批判できるほど立派な国でもない。アメリカなんか今でも戦争やりまくりなわけで。60年も前の慰安婦どうこう言うならイラクで米兵のレイプ虐殺をナントカしとけよと言いたい。

日本戦争犯罪責め立てていいのはアジアだけでしょ。欧米に言われる筋合いはない。

まあアメリカの件は、たしかに横から口突っ込むなバカ、という話ではある。しかしまあ、そこでも問題なのは米-アジア間の外交に利用できるような問題の種を未然に防げなかった日本外交センスのなさでしょう。欧米に対してつっぱねたところで、俺たちフツーの国民には何もいいことなんかなくないか。安倍政権は、支持母体の右派のみなさんが喜んでくれるんでいいかもしれんけど。

2007-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20070227105235

バブルのコロの方が今よりもっと格差が目立ってなかった?

巷で浮かれまくっている奴らがいる一方で、部屋に閉じこもって怨念にうちふるえたり、部屋もなかったりする人たちがいたよ。

2007-02-14

世界でただひとりの素人

もう何も書けない。自分がつまらない人間だということをまざまざと思い知らされた。巷で人気のある文章の向こう側に作者を幻視してみると、どいつもこいつも玄人ばかりでまったくいやになる。玄人の超絶技巧と誇大妄想の片鱗をロハで味わえるなんて素晴らしい時代になったものだ。彼らが繰り出す絶妙に神懸かったパンチラの如き言説に、みな一様にいきり立ちボッコボッコスとブクマするのには思わず恍惚

そんな現実を直視させられた自分が何をするのかといえば、

「所詮玄人の文章なんて金をだしゃあ買えるんだよ。コンシューマ移植されたエロゲみたいなものに悶悶としながらおそるおそる有り難がって反駁するなんてぇのは馬鹿げてる。自分だったらはなっからそんなものは読まずに堂堂と金を出し、まるで客のようなツラしてさんざッぱら楽しんだ挙句扱き下ろして辱めてやらぁ」などと息巻いて、さらに言うのだ。「より重要なのは素人の呻き呟きだ。こればっかりはいくら金を払っても見られやしない、本来ならば。こっちのほうがずっと価値があるのさ。つくりものじゃない、正真正銘のパンチラたぁこのことだ。神々しいねぇ。しかも黒い、眼福」

しかし、そんなことを豪語したわりに耳目を驚かす素人の文章を見つけると何とも複雑な乙女心をはたらかせてしまう。怨念憎悪と私的な幸福がわずかに滲んだ詩的な感情に眩暈がする。実に素人くさい、改行のない、言葉意味の取り違えが多い、ただ刺刺しいだけの野暮ったい文章。熱の籠った暑苦しい文章。ちっともスマートじゃない。ありふれた状況と、ありがちな感情しかのっていない文章。誰にでも書けそうで、だけど誰にも書けない。自分にはとても書けない。

だしぬけに嫌気が差して、あれは玄人の成りすましだということにしてしまう。如何にもじゃないかと自分を納得させようとする。そして、あの泥臭さ、懸命さ、熱量はつくりものなのだ、自分にも学習できるのだと矮小化してしまう。あるいは、あれは天稟に恵まれた人間の作品で、自分には真似できないと卑下し、相手を神格化するのだった。

それで惨めな気分にとらわれて、さようなら。

2007-01-26

畜生め、畜生

つまさきから這い上がるように野暮ったく出っ張った腹を撫でる冷たい風が心地よかった。真冬の河川敷で大の字になって寝転がっていると轟轟と迫る夜気に全身の骨が粉砕されるのがありありと感じられて、これは愉快痛快と心ならずも笑んだ。笑った。そうしようとした。しかし、できずに咳込んだ。爺の小便じみた勢いで赤赤とした汁を垂れ流す。もう、でるのは血反吐だけだった。涙はでない。苦痛に地べたを這いずって笑いをとるやり方も忘れてしまった。屑籠みたいな街で日々をやり過ごしていくことができる程度には命乞いの作法を体得していたつもりだったが、仁義の切り方を誤ってしまったのかそれもまったく意味をなさなかった。鼻血が止まらなかった。鼻が曲がってしまったようだ。腐臭の漂う川なのだから、これは仕方のないことだったが。

あれは暴力だった。ひどい暴力だった。突然、ワゴン車に引きずり込まれ、唐突に放り出されてこのありさまだ。投げられて殴られて蹴られた。痛くて痛くてたまらなかった。豚のように泣き叫んでいた。助けは一向にやってこなかった。ずっと待っていたのに。あの瞬間、自分はこの世に唯一の豚だった。だから哀れみの言葉もかけられなかった。首を落とされるのを待つばかりだった。怯えることは許されなかった。すべてが痛みでかき消されていた。安物のコート学校を出たときにもらった腕時計携帯電話も財布も鞄も、何も手元に残らなかった。泥に塗れた上着はぼろぼろで、もはや雑巾にもならない。裂けたシャツは今も血に染まりつづけている。耳朶にこびりついた哄笑が、咳込むたびに洒落た耳飾のように揺れていて、いちいち自分の矮小さを認識させてくれる。

暴力の何たるかを知りもしなかった。あれらは社会の底辺か。職のない連中か。炎天下の車中に赤子を置き去りにして蒸し焼きにするような玉入れ中毒なのか。それか雪だるま式借金をこさえて首をつる間際に興にのって豚狩りに繰り出したやつなのか。あいつらはいったい何者だったのか。

昨日の自分ならばそういったやつらに違いない、社会の屑だと答えていた。そういうものと一緒に暴力パッケージしていたに違いなかった。あれが社会だ。これこそが現実だと囃し立てていたに違いないのだった。そうしてケージに入れて愛玩していた。社会的な方向性を持った、あるいは社会的に無軌道な、何らかの物語を背負った力と勘違いして。

思い返してみれば、なぜか暴力をふるう必要のない自分が――暴力に攫われない場所にいたはずの自分が――その生々しさを喧伝していた。余所から借りてきた現実という核にいばらのように暴力を張り巡らせる。それは筋の通った破滅であり、透徹した怨念だった。絶望だった。何か暴力以外の能力を持った人間が、周到に、精緻に記述したそれらのものを、今の自分は暴力と呼べそうになかった。

畜生。豚一匹を仕留め損なった暴力が、そこまでたいそうなものか。仮に仕留めたとしても豚一匹。くそ。痛いだけだ。意味のない、真実意味のない、意味がないという意味さえも持たないしょうもないものだ。外側にいる「確か」な連中は深刻で結構なことだ、まったく。お前らこそ何をやっているのか。単純な腕力を必要とせず、それとは別種のものを弄して暴力の正体を規定している。

笑い飛ばしてやりたかったができなかった。もとより、その必要はなかった。ぐちゃぐちゃの顔面が笑んだ石榴のようになっているのはわかっていたから。

2006-12-26

羨望とか

普段は世間に無関心でいるのに、たまに「負けたくねぇーっ」と思うときがある。

2年ほど前、人を見て異様に羨ましく思った。

その人というのが、まぁ知り合いなわけで、元○大院生で、就職のときに地元に戻ってきたのかどうかは知らんけど、偶然地下鉄で出くわしたわけです。

えらいカワイイ嫁さんつれて、いや、まぁそっちはどうでもいいのだけど、すでにかなり交通の便のいい場所都会な場所に家を買ったとかなんとか。

なんだよこの差は、と。

まぁ僕がフラフラしてる間に、彼は僕なんかが想像も及ばないような研鑽を積んだに違いないのだろうから納得もできるのだが、やはりやるせないものはやるせない。

そう人を羨みつつも、やはり自分がその羨望の対象になりたいなんて俗っぽい欲はあって、しかしながら苦労している様はあまり人に見られたくないなぁ、なんて思っている。

結局のところ、僕は楽して裕福な生活を手に入れたいわけで、ぶっちゃけ怠惰なんです。怠惰

その彼が死に物狂いの努力をしたかどうかは知らないけど、彼はものすごく頭の切れる人物なので成果につながらない努力はしてないだろうし、気転も利くので簡単に不利な状況を挽回するのだろうし、ひょっとしたら苦労らしい苦労はしていないのかもしれない。

僕のような凡人というかダメダメ君とは違って、優秀な彼はいろいろ実になることを身に付けつつ生きて行くのだなぁ、と思ったり。僕はあまり何か見についたような感じもしない。プログラミングなんて誰でもできるし。

ここまで約27年間ダメダメ君を続けていると、さすがにこの自分という人格では一生成功しないのではないかという危惧もあり…というか薄々、僕が「僕」である限りは成功しないのだろう。

飛躍しまくるが、成功するためには「僕」では無理というなら「僕」でなければいいじゃん、ということになって要は別人になってしまえというわけで。

ダメダメな「僕」と別人になるということは言い換えると「僕」に対して自殺宣言するようなもので、大した成果も残せないこの自分という人間にそこまでの未練はあまりないと思っているのだけど、やはりこの27年間のしがらみというか怨念が成仏できないことになる。

「この27年間の人生が報われたい」と。

まぁどうせ自分自身がスゴイ人間でないことは僕自身が誰よりも知っているし、だったら別に報われなくてもいーじゃん、とは頭で考えてても、やはり今の自分に愛着というものがありまして。

でもいきなり人間を変えるなんて激しくストレスが伴う上に一から再構築とか積み重ねというものが無くなってしまうわけでやはり効率が悪い。

あぁ、何を言っているんだ俺は。人間を変えられるわけなんてないのに。

まぁそうなると現実的なのは欠点を修正し、長所を伸ばして、(他分野の)武器を増やすなんてことがセオリーとか王道とか確実とか言われるんだけど、なんで僕はそれができない。やはり怠惰怠惰怠惰か。

で、怠惰ということは裏を返せば欲が無いということなんかねぇ、と思いつつ、やっぱ俺って強烈に何かをやりたいとか欲しいとか思うことなんてねぇーや、と再認識

心理学セミナーに行った時でも「もし願いが全部叶うなら、やりたい事は何?」と聞かれたときでも全然思い浮かべることができず「地球にいいことをしたい」とかガラにもない事を言い出したエコな自分を思い出したり。

実際、自分が権力者やとてつもない資産家になった暁には「権力をフルに使って地球温暖化を止めてやるぜ!」とかそりゃー青臭すぎて恥ずかしいことも考えたりしたもんで。

何というか、僕って無欲だね、なんて思ったけどよくよく考えれば世の中の楽しい事とか気持ちいい事を大して知らないからそんな事を言ってるだけで、いろいろ知っちゃうと絶対に「アレもしたい!コレもしたい!」なんて言ってる自分が容易に想像できてしまう。

見識が狭い、楽しみ方を知らない、という問題もあるけど「コレは何が何でもやりてぇ!やらなきゃ死ぬ!」なんて渇望っつーか強烈に望むものなんてものは僕は何一つ無いので、もう家庭を持っちゃったからそこで満足しちゃってるのから、とか思った。そうだ。もう満足しちゃったんだ。

だから漠然と「世の中を良くするのが目標です」なんて思ってもそんなのハナクソ程度のモチベーションにしかならん。死ぬときゃ死ぬし、寿命が来るまでに地球環境が壊滅的になるわけでもなし。

それにそんな目標を達成できたところで射精&失神するほどの快楽を得られるわけでもなし。

あぁ、そうそう。油田を探す山師が巨大油田を掘り当てた時はマジでイッてしまうらしい。そういう快楽

そんなエキサイティング&エクスタシーとは縁遠い生活をしているので、仕事で歯軋りすることはあっても、興奮することは無く、もしかすると修行僧とかお寺の坊主という感じの生活じゃねぇの、という味気なさに愕然としたり。

欲はとりあえず置いといて、「世の中のために…」とかの「地球のために…」なんて奇麗事満載な行動方針だと人生で痛快な出来事に遭遇することは無いのではないかと。

痛快と言えば『自分を見下した人間に対して「俺は正しかったんだ、ザマァ見ろ」と言う』みたいな雪辱を果たしたり復讐成功したりみたいなドス黒い一面があって、この27年間のうちにこのドス黒い怨念が染み付いてしまって成仏できないのでは、なんてことも思ったり。

あぁ、でもコレって自分自身を証明というか存在意義をアピールしたいという願望なのか。アイデン&テイテイですか。元ネタ知らんけど。

そんなこんなで「負けたくねぇーっ」なのですよ。以上、支離滅裂劇場でした。

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