2007-01-26

畜生め、畜生

つまさきから這い上がるように野暮ったく出っ張った腹を撫でる冷たい風が心地よかった。真冬の河川敷で大の字になって寝転がっていると轟轟と迫る夜気に全身の骨が粉砕されるのがありありと感じられて、これは愉快痛快と心ならずも笑んだ。笑った。そうしようとした。しかし、できずに咳込んだ。爺の小便じみた勢いで赤赤とした汁を垂れ流す。もう、でるのは血反吐だけだった。涙はでない。苦痛に地べたを這いずって笑いをとるやり方も忘れてしまった。屑籠みたいな街で日々をやり過ごしていくことができる程度には命乞いの作法を体得していたつもりだったが、仁義の切り方を誤ってしまったのかそれもまったく意味をなさなかった。鼻血が止まらなかった。鼻が曲がってしまったようだ。腐臭の漂う川なのだから、これは仕方のないことだったが。

あれは暴力だった。ひどい暴力だった。突然、ワゴン車に引きずり込まれ、唐突に放り出されてこのありさまだ。投げられて殴られて蹴られた。痛くて痛くてたまらなかった。豚のように泣き叫んでいた。助けは一向にやってこなかった。ずっと待っていたのに。あの瞬間、自分はこの世に唯一の豚だった。だから哀れみの言葉もかけられなかった。首を落とされるのを待つばかりだった。怯えることは許されなかった。すべてが痛みでかき消されていた。安物のコート学校を出たときにもらった腕時計携帯電話も財布も鞄も、何も手元に残らなかった。泥に塗れた上着はぼろぼろで、もはや雑巾にもならない。裂けたシャツは今も血に染まりつづけている。耳朶にこびりついた哄笑が、咳込むたびに洒落た耳飾のように揺れていて、いちいち自分の矮小さを認識させてくれる。

暴力の何たるかを知りもしなかった。あれらは社会の底辺か。職のない連中か。炎天下の車中に赤子を置き去りにして蒸し焼きにするような玉入れ中毒なのか。それか雪だるま式借金をこさえて首をつる間際に興にのって豚狩りに繰り出したやつなのか。あいつらはいったい何者だったのか。

昨日の自分ならばそういったやつらに違いない、社会の屑だと答えていた。そういうものと一緒に暴力パッケージしていたに違いなかった。あれが社会だ。これこそが現実だと囃し立てていたに違いないのだった。そうしてケージに入れて愛玩していた。社会的な方向性を持った、あるいは社会的に無軌道な、何らかの物語を背負った力と勘違いして。

思い返してみれば、なぜか暴力をふるう必要のない自分が――暴力に攫われない場所にいたはずの自分が――その生々しさを喧伝していた。余所から借りてきた現実という核にいばらのように暴力を張り巡らせる。それは筋の通った破滅であり、透徹した怨念だった。絶望だった。何か暴力以外の能力を持った人間が、周到に、精緻に記述したそれらのものを、今の自分は暴力と呼べそうになかった。

畜生。豚一匹を仕留め損なった暴力が、そこまでたいそうなものか。仮に仕留めたとしても豚一匹。くそ。痛いだけだ。意味のない、真実意味のない、意味がないという意味さえも持たないしょうもないものだ。外側にいる「確か」な連中は深刻で結構なことだ、まったく。お前らこそ何をやっているのか。単純な腕力を必要とせず、それとは別種のものを弄して暴力の正体を規定している。

笑い飛ばしてやりたかったができなかった。もとより、その必要はなかった。ぐちゃぐちゃの顔面が笑んだ石榴のようになっているのはわかっていたから。

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