はてなキーワード: 助産婦とは
自分が信じて自分で飲むとか、大きく譲って自分の子供や配偶者に飲ませるのはまだいい。
ハチに刺されてショック状態の旦那にエピペンの注射を頼まれていたのに、
ホメだといっていろいろ入れた風呂に入れて放置(そのまま置いて外出)したら、
たまたま運良く助かったのを「やっぱりホメはいいんだわ」みたいなこと言ってる人もいるが、
それもまだいい。
問題は、「医療者が」「患者ではなく自分の信条に基づき」「危険をもたらす可能性のある行為」をした結果
患者が死んだりしていることでしょう。
これ、3点あるのが重要だと思うんだよね。
「医療者が」でなければ、たとえば患者本人や患者の肉親(本人が未成年の場合)なら、自己責任だし、
「患者ではなく自分の信条に基づき」でなければ、たとえば信仰による輸血の拒否とか、それも自己責任。
「危険をもたらす可能性のある代替行為」でなければ、たとえば切り傷にツバつけるとかなら問題ない。
助産師はホメを信じてはいけないとは言わない。信じたければそうすればいい。
押し付けてません、提案してるだけですなんて詭弁を言うかもしれないが、
助産婦が「これは○○の代わりでもっといいものですよ」と言ったらやっぱり信じてしまうし、
そこで断ることでそのあと不利益があったら困るしな。
たとえば風邪をこじらせて病院に行ったとき、医者に「いつもの総合感冒薬よりいい薬なんですよ」と言われたら
じゃあそちらを飲みますってならないか?
最近のホメオパシーをめぐる議論で気持ち悪いのは、論点が、科学的無知につけこんで騙す悪者がいるから成敗して正しい知識を伝えないといけない!というのがほとんどで坊主憎けりゃ袈裟までになっていること。
そもそも乳幼児死亡事件は、ホメオパシーという個人的信条を職業倫理に優先させた助産婦の犯罪行為で、責められるべきはホメオパシーではなく、その人の悪意(法律的意味で)でしかない。それは、例えばエホバの証人を信じる医者がいて、輸血をしないせいで患者が死んだというシチュエーションを想定すればわかる。その場合は明らかにエホバの証人じゃなくて医者が責められるだろう。そういうふうに考えると、解決すべき課題は助産婦業においても医者と同様の職業倫理を持たせる(もしくはいい加減なのを徹底させる)、ということになる。親がホメオパシー信者で子供が死ぬという場合もあるが、それについても保護責任者遺棄致死扱いにすべき。
ホメオパシー自体は害にも薬にもならないもので、「信じるなら勝手に信じれば」の慰めや祈りの類と変わらない。高いレメディを売りつけているというのを問題視する人もいるが、そんなことを言ったら、単なる石にとんでもない価格をつけている宝石業界は詐欺師集団になってしまうし、カラープリントを高く売りつける秋葉原の絵売りはすぐさま取り締まらないといけない。繰り返して言うが、問題はホメオパシーそのものでなく医療関係者がそれを勝手にやったことであって、ホメオパシーを規制しても構造的に考えないとまた同じことはいくらでも起きる。
あと、ホメオパシーを信じる人を無知と単純に断罪しているつもりの人も多いが、個人的に慢性の大病をしたけど病院はなんの役にも立たず、結局指導とは違う形で食べ物を変えるのが一番効いたことからも、背景としていわゆる公式の医療に不信感を持っている人はとても多いことは認識すべき。SSRIもNSAIDも結局は症状を悪化させるだけだったし、病院はおじいちゃんおばあちゃんの慢性病をできるだけ引っ張って健康保険のお金を引き出しているように見える(意図はともかく結果としてそうなっている)。100万人に1人しかかからないような難病治療にお金をかけてばっかりいて、検査じゃ特に悪くないのになんだか体が調子が悪いという状態にはほとんど役にたたないし。地方に行くとよくわかるけど、そういう年寄りを狙った宗教団体はいくらでもある。そういうのもついでに断罪すれば?そうなったとたんに支えのなくなった年寄りは絶望して自殺しまくるだろけど。
http://anond.hatelabo.jp/20100908214709
こっちはイギリス住まいなのでちょっと事情は違うかもしれないが、無痛分娩が当たり前などと言うことはない。アメリカ人の友人と話していても、出産の痛みの話なんて当たり前に出てくる。イギリスではepidural(麻酔)の投与は自由に選べるが(これでも無痛にはならない)、依然として大多数は普通分娩を選択している。理由としては、
助産婦がepiduralの使用を余り積極的に勧めない(理由は以下)
いきむタイミングが分からなくなるので分娩が長引く(タイミングを助産婦がコントロールせねばならない)
(これは邪推だが、以上の理由から病院の負担が大きいため?)
イギリスではホメオパシーは比較的メジャーだが、助産婦がepiduralを勧めないのはそれとは関係ないように思われる。何度か助産婦と話したが、ホメオパシーに共感を抱く助産婦は自分の行った病院にはいなかった。
海外の話を書く人は、「英語の読めない日本人はどうせ気がつかないだろう」と、表現を気軽に誇張するので気をつけた方がよい。後は、著者自身が大した情報を持っていないので、針小棒大に書かないと本が成立しないという事情もある。
はてな記法てのがあるんだね。気づかなかったや。2chよりは便利だね、ここ。とか思ったらダメじゃんか。wはてなつかえねー!
>私は赤ちゃんや病人が殺されてた、ガス殺があったとは書いていませんが。
あなたが書いていなくても、あなたが根拠として出した資料の周辺資料がそう語ってるんだよ。意味が解らんのかな?俺もガス殺については取り上げてないけど?
>違う人物が同じ状況を発言したらそれが真実となるのですか?
信憑性は高まるね。もちろん、「ガス室を見た事が無いという証言」は尊重されるでしょう。例えそれがガス室が無い収容所でなされたものであってもね。てかラッシニエの事いいたいんだろ?はっきり書けよ。w
>運がなければ収容者は病院に入れなくて、殺されるか人体実験の悲惨な状況だったって話になりますが
何か微妙に違うなぁ。俺はね、病院に入れなかったなんて書いてません。レイヴィーも、オットーも、あなたの上げた資料のSolomon Radaskyも入院してるよ。(ただ、彼は知り合いの好意で病院に隠れ、巡回前に脱走を進められたが、幸いにも発覚せず助かった)人体実験については、クラウベルグなんかの資料を上げたはず。本人の書いた手紙が残ってる。また、あなたの上げた資料の背景にそれを否定する証言がある。収容者は14f13に従い、回復が望めるものは放置され、そうでない者は殺された。「第二の選別」が行われた場所のひとつだ。
>これはアウシュビッツが「絶滅収容所」であったとしたらおかしい事です。
アウシュヴィッツは強制収容所の最終形態だ、と俺は考えている。もちろん、異論は受け付けるが。w
ヴァンセー会議で決定された「労働ののちの死」が実行された。労働力の提供と死が同居した場所だ。
それと、焼却炉がな、チフス患者用だとしたら、クレマ1一基で事足りるぞ?そしてクレマ1はその他のクレマが稼動した時点で使用を止められた。これは新しく処理能力の高い焼却炉が必要とされた事を示しているよ。
>あなたは証言者のいうことが全てなのですか?本物の歴史資料ですよ。
あのな、ちゃんと読め。その資料を担ぎ出した当初、否定論者達がそう言ってたんだよ。自分らの信憑性を高める意図でな。そして、実際に販売もされてるその名簿は収容者のみしか記録されていない資料だ。つまり、ナンバリングされなかった人々は記録されていない。アウシュヴィッツに送られた人数は鉄道運行表から推計されたものがある。ただし、あくまで推計だ。
証言については、俺は資料の一部として扱う。もちろん、歴史学で資料とされている物を中心にね。
>子供がいないって言ったら今度は老人を持ち出してくるのですか。
だれか子供がいないって書いたか?出産の件は助産婦の証言の話だろ、と言ってる。
>赤十字は物資不足を連合国側のインフラ破壊によるものと非難しています。
国際赤十字は公式に否定してるがね。
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08b03g.html#08521ドイツ赤十字はナチス党員だぜ?
そこにも書かれているが、空爆後もユダヤ人の移送自体は続いているぞ?
>解放された人もいます。
それはある意味、正しいが、アウシュヴィッツから釈放された収容者の数は42年、44年、45年で
あわせて1549人。ちなみに40年、41年、43年のデータは残っていない。だがこれはユダヤ人の釈放とはほとんど関係ない。
この釈放数は、当時社会問題化していたニート青年を収容所という厳しい環境で叩きなおすという6週間の教育プログラムの終了者、そして悪名高いディルレワンガー師団に参加したドイツ人刑事犯などからなっている。
その他ならローゼン通りの妻たちのデモは映画化されているほど有名な話だな。それによってアウシュヴィッツから釈放されたのは25名だ。 社会的パフォーマンス以外に解釈は難しかろう。
収容所の名前間違いは有名な話だが、全体に影響するほどの話じゃない。ついでに書いとくと、被害者数も「よく覚えていない」と書いてる。正直だと思うがね。ガス室についてホェスてそんな事書いてたか?
http://www.stellaworks.info/blog/2007/07/post_131.html
出産にまつわる話なので、ナマナマしいのがだめな方はご勘弁を。
祖母は助産婦をしていて、小柄な人だった。
自分の初のお産、臨月を迎え陣痛が来た時、祖母の骨盤は常人よりもあまりに狭くて、
お産婆さんは母体を守るために赤子の頭を潰し、殺して、引きずり出したのだそうだ。
頭を、と訝しがる小学生の私に、生まれたての赤ん坊の頭は親指でぐいと押すと、
簡単にべこんとつぶれてしまうのだ、と祖母は言った。
その後は産み月を迎える前に、胎児が大きくなりきる前に、
なんとか胎児を引っ張り出すという方法で祖母は5人の子を産んだ。
その当時にどうやって早期出産ができたのか詳細は不明だ。
祖母の長女である叔母もまた、祖母の細い体型と骨盤を受け継ぎ、
臨月を迎えた時には、やはり自然分娩は無理だと言われた。
なので、大変な思いをして帝王切開で従姉妹を産んだ。
時代が時代なら、従姉妹もまた死にながら産まれることになったのだろう。
祖母の次女にあたる私の母は体型こそ堂々たる安産型だが、私を産んだあと流産をしている。
有名な山寺へ詣でた時、水子供養の蝋燭を買って点し、熱心に拝んでいた姿が忘れられない。
流産を経てまた子を授かった時は、大層神経質になっていて、わざわざ遠い病院まで通っていた。
大丈夫、あの病院の先生は上手で有名だから大丈夫、そう言いながら。
飼っていた犬も、猫も、初めての出産の時は不器用に苦しんで仔を産んでいるように、私の目には見えた。
出産とは、恐ろしくて、命がけの行為なのだ。
それを何度となく聞かされて育った私には「案ずるより産むが易し」とはとても思えない。
職場に、もう6ヶ月は過ぎたであろう妊婦の人が働いているのだが、
正直その人のそばを通るのが怖くて仕方がない。
仕事を一緒にする機会もあったが、強いことを言うと何か差し障りがありそうで、ろくな修正も提案もできなかった。
本人は気丈で、快活な方なのだが、それだけに綺麗に膨らんだ腹部が怖くて、
なんかあったらどうする! 早く休んでくれ! とずっと念じている。
自分も結婚して数年が経つのだが、まだ怖い。理屈じゃなく怖い。
そして恐怖ゆえに、自分が子を持っても大丈夫じゃないか、と判断できた時にはじめて避妊をやめようと思う。
自分が丸々何年か子供にかかずらっていても支障のない経済力がほしいし、
なにしろ性格が30代とは思えぬくらい子供なのでもうちょっと成熟したら……
とかなんとか、言い訳をして、しまくって、恐怖から逃げ回っている気もする。
おうじゃのつるぎと、ひかりのよろいと、ゆうしゃのたてと、てっかめんが揃わないと、ゾーマは倒せないと思い込んでいるかのような。
恐怖を打ち砕くのが先か、年を取るのが先か。