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2009-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20090222224732

なんという俺。チョコボール買うところまで(笑)

こっちは東大だったが。

 

学部時代から誘われてた教授のところに

特に考えず、必要としてもらえるなら、と行ったんだけど、

RATA給料研究室に丸々上納するのが当然だった、みたいな。

先輩方、博士号なかなか取れてません、みたいな。

でも、そんなに悲惨だったわけじゃない。

自分には運動部的なノリがあるから、雑用をする分には別に良かったし、

NEDOプロジェクトに絡めたり(当たりはしなかった)、

1章書いただけの、共著だけど、一応本も出たし、

悪くは無かったと思う。

教授のことが嫌いになったわけじゃないし、

教授の考えの一番の理解者だったんじゃないか ぐらいの、自負はあった。

ただ、正直、ここじゃ学振は無理だなとM1の秋に思って辞めた。

だって、研究は、これっぽっちも進まなかったから。

 

日本でも産総研とか理研なんかのRAとか(研究室コネもあるだろうけど)、

とにかく研究室に籍は置きつつも、お金のあるところでの研究活動に移るべきだよね。

研究室の雑用をサボる理由にもなるしね。

研究室ボスとしても、面倒な指導もせず、

適当に discussion で我田引水しとけば、 corresponding author になれるんだから、

こういうやり方は双方にとって悪い話じゃないんだ。

そうやって、うまく立ち回ってた人もいたので、できないことではない。

まあ、俺にはできなかったが。

 

役に立つ研究室は(たぶん日本以外でも)限られているから、

何らかの事情で“外れ研究室”に入ったとしても、

自分で果敢にアタックして、他の研究室研究所に、

自分を売り込んでかないといけないんだと今は思う。

なんせ、大学院生供給過剰なんだから。

 

やめるときに退学届けに判子をもらうために

研究科長のところにいったら

「朝は起きられるか」

と聞かれた。

既に今の会社アルバイトで働いていたので、

何を言ってるんだこの人?と思ったけど、

「朝は起きられるか」

ポイントみたいだな。

 

そういえば、こっちもアメリカスカンジナビア

大学院に入りなおすことを考えていたが、

奨学金抱えてて金銭的にヒヨった。

学部時代に運動部に力入れすぎて、

GPAが悪かったってのもあったが、

まあ、いろんな意味でヒヨったね。

今じゃ、普通に働いている。

結婚までしちまって、

ますます留学が遠のいた。

 

俺も、金のエンゼル当たったことないや。

 

追記:

そういや、友人に「ワープアになっても研究続ける」って言ってたのがいて、

その後 DC2 が取れたみたいで、俺のほうもほっとした。

学振があるのとないのとじゃ、余裕が違うからね。

というか、DC1 ならまだしも DC2 が取れないようなら、放り出すべきだと思うよ。

自分で目が覚めるのならいいけど、

そうでなかったらほっぺた引っ叩いてやらなきゃ。

2009-02-22

たとえ死んだとしても生命科学研究者を志してはいけない

大学院中退して数年、初めてまともな文章の形にして、生命科学の現状を書こうと思う。大御所が見た「現状」ではなくて、知識も経験もろくにない学生意見なので、細かい突っ込みはご勘弁。簡単な経歴には触れざるを得ないと思うので、匿名日記だけども別に身元がバレても構わない気持ちで書く。長くなるから、適当に読み飛ばしてくれて結構。

関西のまあ誰でも知ってる進学校出身。男子校。何を思ったのか、生命科学に強い興味を持ち(そのころの時代の雰囲気も影響していたと思う。ちょうどゲノムが全部読まれたころ)、まあ実家からそこそこ近かったこともあって、京大理学部に進学。授業は正直言って、まったく面白くなかった。系統だった講義があるわけでもないし、生命科学的な考え方を叩き込まれるわけでもなく、雑多な知識を積み込まれるだけという感じ。今考えてみると、恐ろしいことに大学院に8割以上が進学する割りに、周りに統計勉強している人間はほとんどいなかった。1,2回のうちは系は決まらないので、周りもなんとなくCellパラパラ眺める程度。

3年生になると週のほとんどが実験レジュメを読んで手を動かす。ある程度問題意識を持って、研究室に遊びに行ったり、セミナーに参加したり。そこそこ充実。ゼミでも知識が増えていくのは面白かった。ただ、このあたりで、他の系のやつらと比べて、「ああ。おれ全然頭使ってない感じがする」と思っていた。paperも、コントロールの取り方と極基礎的な統計の知識さえあれば、30分もかからずに読める(ある程度の単語が分かれば誰でもそう)。このあたりで系の転向就職活動も少し頭にあった。

焦燥を感じつつも、文系のやつらも同じようなことを言っていたので、まあこの時期誰でもそういうことを感じるもんなのかな、と自分を納得させる。4回になる前に少し早めに研究室に通い始める。生活はここで激変。生き物を扱う関係で、時間の縛りが大変厳しい。1週間のうちほとんど拘束。土日もなし(4回のお正月研究室でどんべえ食べていた)。実験も一度始めると、当然自分の意思で「今日はきりがいいからここまで」ということはできない。週3日は徹夜実験してそのままゼミに出てた。まあ、これは耐えれないこともなかった。

ただ、皆が使う器具や動物の世話を、仮にもお金を払うお客さん側である学生に負担させることへの違和感は感じていた(この違和感は後に海外に短期留学し、向こうの様子を知ることで強まる)。教えてもらったことといえば試薬の置いてある場所と作り方くらいか。

大学院試験前は本気で「どうしたらいいんだろう」と悩む。しかし自分が(自分で言うのもなんだけど)純粋培養で、世間知らずというのもあったし、研究室での人間関係は悪くなかったし、周りが「当然同じ研究室大学院に進むんだよね?」という雰囲気(実際に助教にそう言われた)もあり、大学院に進学。

いよいよ生活は実験実験の日々。実験が始まると生協にすらいけなくなり、コンビニ弁当ばかり食べていた。唯一の楽しみチョコボールを一緒に買って、金のエンゼル当てること(結局、研究室にいるころには金のエンゼルは一回も当たらなかった)。夏あたりで体がおかしくなり始める。朝起きれない。同期の院生や、学部生は合わせて7人中5人が去っていった。残りはおれともう一人だけど、もう一人もほとんど学校に来ていなかった。

信じがたいことに、天下の京都大学大学院(今となってはこんなこと思っていた自分失笑してしまうけど)に苦労して入っても、わずか数ヶ月でほとんどの人間が辞めてしまった訳だ(そいつらがどうなったかは知らない)。当然器具や動物管理の負担はおれに圧し掛かる。研究室に行こうとしても、吐き気がして行けない。自分実験している姿を想像するだけで、目の前が真っ暗になって、体から変な汗が噴出してくる。構内を歩いていても、些細なことで物凄い感情の波が押し寄せてきて、まったく知らない人間に怒鳴り散らしてしまったこともあった。常に目の前を小さな蚊が飛び回っていて、当時はタバコを吸っていたんだけど、気がついたら一日に4箱くらい無くなっていることも。実験のきつさ以上に、将来に対する不安が大きすぎて、押しつぶされてしまった。

秋に観光に来た母親が異常に気がついてくれて、即刻病院に連れて行かれた。連れて行かれるまでは、自分が欝だということを認めたくなくて、母親を怒鳴りつけたりもしてたけど、一旦認めてしまうと、ようやく自分のおかしさに気がつくことができた。そのまま逃げるように研究室を辞めて、半年くらいは何もせずに実家で引きこもっていた。

http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/

を読んで、当時の記憶が鮮明に思い出された。すべてがそうだとは言わないが、少なくともおれのいた研究室では、学生を体のいい労働力としか考えていなかったのではないかと。よくよく調べもせずに安易に研究室を決めた自分が悪いのも分かっているし、細かい雑用を通じて学べることがあるのも分かる。ただ、研究室を去っていた同期や、他の研究室にいる友人と話してみても、日本大学大学院研究室には、「大学研究機関であると同時に、教育機関である」という自覚が欠けている気がしてならない。

現実に、おれのいた研究科ではほとんどの人間博士を取れていない。就職先も絶望的。教官のなかにも、危機感を感じていた人間はいたのだけども、学生の立場からみると、若い人間不利益押し付けているだけにしか見えない構造がある。科学技術立国を目指しながら、都合のよい言葉を吐く上の人間にしか金は回ってこない。学会の長も務めたさる大御所が、「日本研究院生によって成り立っている。彼らには一律生活できるだけの奨学金を出すべき」とのたまったはいいけれども、ふたを開けてみれば1人につき2万円/月。どうやって生活したらいいのだろうか。奨学金は単なる借金に過ぎない。生活費も考えると、学部で就職した人間とくらべて、ドクターを取るころには1000万近くの借金。それで就職先がないというから、もう罰ゲームでしかない。

おれの同期には、それでも不平を言わずに一生懸命日夜研究を続け、不安定な身分でも前を向いて頑張っているやつらがいるけれど、おれはもう無理。この国の偉い人は、若者が心の底から嫌いなんだと思う。もしかしたら、日本のことも憎んでいるのかもしれない。

読んでもらったら分かると思うけれども、おれにも随分甘い部分がある。これは失敗例の一つでしかない。もしもこれから先、生命科学研究者を志す人がいるならば(生命科学研究自体は社会にとって絶対に必要なものだし、立派なことだと思う)、この失敗から何かを学んでほしいと思う。

「愚者は失敗から学び、賢者歴史から学ぶ」


その後、親に拝み倒して借金をして、海外大学院でMBAをとり、まったく生命科学とは関係のない仕事に就くことができた。幸運だったと思う、正直。今は幸せかと聞かれれば、So soという感じ。

金のエンゼルはまだ一回も当たっていない。

2007-09-07

アーモンドチョコボールの箱の中にゴキブリがいたら、つまんでたべちゃいそうだよねー

あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは

2007-08-03

東大卒プログラマになんてならない理由 その2

東大卒業した人がプログラマにならない理由は2つある。

理由1: オ○ニーに両手を使うのでキーボードをたたく暇が無い

理由2: 昔告白した子がプログラマーだった

種明かしをしよう。(東大だけにとーだい、凄いだろって言わせたいのさ)

東大情報系を卒業する頃には、

"ゼロから"

「おてもやん」の設計ができて、「おてもやん」言語を設計し、「おてもやん」が書けて、「おてもやん」を載せて、

その上で例えば「おてもやん」を動かせるくらいの力量がつく。

(上で書いたようなことを実践した記録が、東大の3年生のホームページに書いてある。

それを参考に上記を書いたわけではない。あくまで、例として。)


C言語をマスターしてるかどうかなんて低レベルな話をしてる時点で見当違いのような気がする。

「雪見だいふくの数暗記してる?」くらいのレベルの低さだ

4年生の卒論でやるのは、例えば、とあるニャンコ処理系GCを、

ある仮説を立てて、その仮説のもとで最適なコニャンコを設計し、

実際に処理系組み込み、仮説が現実にどれくらいあっているかを検証することで、

そのマゴニャンコの良さを測る、といったレベルだ。

実践うんぬんと言っているが、上記のことは普通リサ・スティッグマイヤーには実践すらできないだろう。

また、ここで注意していただきたいのは、ダンシング・ベイビーなんて誰がやっても同じということだ。

機械語を書く際の冗長な作業を軽減するためのせんだみつおナハナハ言語であり、

もっともプリミティブな部分が定義されていれば、あとはそれを別表現で定義すればいい。

これはカレー王子様でもできることだ。

カレー王子様ができることをわざわざ仕事にしても面白くないだろう。

ここ5年くらいの情報系での流行睡眠学習だ。

DSで使われているニャンコ肉球認識や、

銀行で使われているハスキーボイス認証、

オレオレ解析、

携帯電話などの無線通信で使われているクーポンポン

動画エンコードで使われている松崎しげるを白くする技術などが関連している。

機械学習に関する情報のページ

http://www.baitoru.com/

東大生はこういうことを仕事にしている。

もちろん、実装はカレー王子様でもできることだ。

そして、こういうことを仕事にすると、

チュパカブラの半分の労働時間で、倍以上の雪見だいふく(4個)を稼げる。

もちろん、全くラブレターを書かないわけではない。

誰がやっても同じ部分であるラブレターは外注する。

妄想の速度はきっとバッファローマンの方がはやいのだから、外注した方がいい。

だけど、超人強度でしか負けないから、

雪見だいふく単価はプログラマーの4倍(8個?)以上なのだ。

もちろん、大規模なペッティングの設計は重要だ。

だけど、ペッティングと吠える人ほどペッティングセンスがないという現実がある。

本当に難しい部分のペッティングというのは、例えば、NTT Dataにいる東大生が行っている。

あるいはチョコボールマーク判定のようなシステムならば、日立東大生。

JRキオスクおばさん配置システムJR東大生。

他にも大規模システムの例はいくらでもある。

ただ、1つ注意して欲しいのは、君らが指しているカレー王子様(甘口)と、東大生がさしてるカレー王子様(中辛)が違うってこと。

あとがき

少しだけ誇張して書いている。

でも、東大にいる80%の人は本気を出せばそれくらいのポテンシャルがある。

上位20%は常にハーゲンダッツ

下位20%はパナップ。

だけど、アメリカへつれていき、いきなり英語ダンシング・ベイビーをさせたら無難にこなすレベル

一番底辺をとってきても、能力的なものは高い。

あとは・・・去年のカレンダーをマスターしてるレベルといったら、東大文系を連れてくると、丁度いいかもしれない。

http://anond.hatelabo.jp/20070801222021

デリバリーヘルスがどうこうとかファッションヘルスがどうこうって話はあまり多くは出てこない。カリキュラムの整備がなかなか追いつかないし、そもそもみんな自分でやっちゃうから需要も無い。

需要が無いのは、開拓の余地がないから。日本むかし話は単なるむかし話だし、雪見だいふくは2個しかない。

必要になったときに、キン肉マンを読めば1週間で習得できるようなフィニッシュホールドを学ぶ意味はまったくない。

そういや東大教養課程で扱うペットのエサがペティグリーチャムになるらしいね。モンプチの適度なヌルさは教育向きだと思う。

情報系にはペティグリーチャム・ミキサーがあるので、皆様ご安心を。

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こっちも読んでね

http://anond.hatelabo.jp/20070731013218

ブクマがいっぱいついてうれしい限りです。

文句ある人はきちんと対応しますので、

ネタ」ですまさず、「ここが面白い」と指摘してくださいね。

具体性がないとおれみたいになっちゃいますよ。

現実を一緒に理解しましょう。

私が知らないこと(恋愛の方程式)もありますし、あなたが知らないこともあるでしょう。

お互い教えあえばいいわけです。

2007-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20070429133043

チョコボール先生に一度相手してもらったらどうよ?新しい悦楽の世界が開けるかもよ?

2007-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20070412010819

うけるとおもうよ。タコボールとかな。

だけどタコを食うのは日本人ギリシャ人だけだとか。

メジャーリーグボールパークに行くとなんかチョコボールみたいな感じでぐでぐでしたヤツがうってるとかいないとか。

お好み焼きは海外いくと中国人だとかなんかどこの国の人だかわからない格好をして鉢巻とか巻いたヤツが焼いてくれるよ。

田舎町の地方都市レベルにいけば必ずある。

焼きソバはあまりみたことないな。

確かインドあたりでチョウミンっていう感じでみた。あれは日本じゃなくて中国料理かもね。

すする系のソバはあまり受けないかもね。

海外のカップラーメンは短いからね。

でも日本ラーメンとかは中国でも日本ラーメンってことで大流行らしいし。

カップラーメンもメキシコあたりでは国民食になったとか。

でも日本ファーストフードは海外だと大人気だよね。

すしとか元々ファーストフードじゃない。

他にもいろいろ進出しているよ。先輩の日本人達はいろいろがんばってんのよ。

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