はてなキーワード: ななーとは
ガチで戦えるような息子なら万々歳だよな。
俺のふがいなさを見すかされないように、油断できないなー頑張らななー、ってプレッシャーだわ。
結果まけるのは、誇らしくもあるだろうさ。
そもそも、ニコマス動画を見るのが好きなんであって、アイマス自体が好きなわけじゃない。
確かに、whoPの「記憶のメモリー」とか、なななななーPの「春香と灰春香」とか、ゲームしてなくても号泣なんだから、実際にやってて見たら目玉溶けちゃうような名作もあるのは間違いない。
ただ、自分みたいな見る専な人って、そこにゲームとしての面白さを感じているんではなくて、ゲームを含めた、ニコマスP達が作り上げる世界観が好きなんだと思う。
二次創作的なものだけでも、おまんPの「一騎当千のアイドル候補生達の営業」、むらたんPの「朝食戦隊スイハンジャー」、さらに派生して、木曜洋画劇場Pの「ニュー・ニコマス・パラダイス」や、bbcPの「BBCドキュメント風 60's IDOLM@STERの軌跡」、手書き系やネタ系、紳士動画に至るまで、次から次へと広がる世界。ここまで来ると、原作ゲームに縛られる必要もないし、今更、コントローラ握ってポチポチってのもねぇ。(汗)
タタとかインフォシスとかウィプロとかサティヤムとか、インド系のSIerの進出著しい。少なくともグローバルで見れば、彼らは「勝ち組」なんだろう。
でも、グローバルなんとかとやらがその実アメリカン、それもモルスタ系WASPとかゴールド萬系ジューイッシュとかがたった2年のMBAカリキュラムで学んできた範囲の狭い理論に基づいているのは今さら俺が言うまでもない。
そして、そこで必ず出てくるつまらんフレームワークにハメ込むのが得意なのが、ほかならぬインド系の連中だ。インド系ということで、周辺のバングラとかスリランカとかも(もしあるんだったら)含めてしまっていい。
そういう型通りのビジネスを愚直にやる姿勢、それは過去に日本の製造業も歩んできた道だ。高度経済成長期のようななーんもない時代だったら、そのやり方も成功の余地があった。
でも、このモノ余り、カネ余り、均質化の時代で企業各社はどうやって他と違うことをやろうかとアタマを抱えてるときに、型通りのことをやるしか能のないインド系はまったく使えない。簡単に言えば、気が利かない連中だ。
そういうインド系は、少なくとも今の日本には要らない。日本企業が求めているのは、自身が問題を抱えているときに根源の理由を見つけそれの解決に現場と汗水垂らして頑張ってくれるヤツだ。インド系は、そういうシゴトは今だ残るカーストの下層の役割なんだろう。
もちろん、現場で汗水流し頑張ることは、日本人労働者でも今や下層の役割にあるとされる。でも、彼らの利点は、問題解決というゴールに実に忠実であることだ。仕様でカバーされたことしかやらない、仕様外のことが出た途端に費用を上乗せすると言っても対応しないインド系は要らない。
冒頭で挙げたインド系企業群が、IBMとかNECとか日立とかがやっているようにコンサル業務を拡大させると言われている。まったくもって馬鹿馬鹿しい。機械がガンガン音を立てる現場じゃなく空調の効いた快適なビルの一室で鉛筆ナメナメしながらフレームワークをイジってるかと思うとアタマにくる。そういう連中、あるいはそういうキャリアパスを描きながら日本に大挙押し寄せようとしているインド系は回れ右でクニに帰れと言いたい。
目の前の牛丼の並を眺めながら、俺は自分がすっかり年老いてしまったことを改めて思い知らされる。昔はもっと自分に食欲があったはずだよな、と思いながら紅生姜に箸をつける。箸を持つ手の力も衰えた。まあ、人生というのはそういうものなんだろう。毎日平日、決まりきったスケジュールを繰り返すうちに人は簡単に年老いていく。
俺の昼休みは他の人間よりも少し早い。正午を過ぎてからがお昼休みという感覚は失われてしまった。今日これからやるべきことを振り返る。職場では慣れない空気に緊張して固まりきっている新人が今頃スタンバイしているのかもしれない。俺はずっとそういう奴等に言ってきた。「反省するな」。その時その時の出来ることを普通にやっていれば身体が慣れてくる。仕事は頭で覚えるもの、勉強して覚えるものなのは確かだ。でも実地で経験を積んでみないと分からないことは一杯ある。いちいち後悔して萎縮しないで、どんどん自己主張していけ。ここまで真面目なことは俺のキャラクターとは違うので言わないが、勘のいい新人ならすぐ分かるはずだ。
そう言えばここ最近あいつらを食事に誘っていない。家に招いて俺の手料理をカミさんと一緒に食べてもらおうか、と思う。
自分のやっていることがどれほどの意義があるのか俺にはよく分からない。何か特別なことをやってのけようという気はさらさらない。ただいつもと同じように、やれることをやるだけ。肩の力を抜いて、特別なことをしようとせず進行するスケジュールに従ってその場その場で調節しながら、俺が前に出て行くのではなくてあいつらを見守り、フォローする。そんなことを俺はもう20年以上やってきたのかと振り返って考えてみると、まあ何だってやっていれば何とかなるもんだよな、と思う。
感慨に耽り過ぎたようだ。そろそろ職場に戻ろう。
そして職場の控え室で俺は、トレードマークのサングラスを取り出す。このサングラスも何代目だろうか。今日着ているのはオレンジ色のポロシャツと白いチノパン。安上がりな衣装だ。俺が目立ってはいけない。脚光を浴びさせなければいけないのは、これからを背負っていくあいつらなのだから。
テーマソングが鳴り響く。今日もリラックスしてこの時間を楽しもう。
耳が痛い。
私は就職して半年で家を出たので今ではほぼ自立してるといえる状況ですが、半年実家にいた頃は月三万入れて毎日の風呂掃除とたまの晩ごはんの後片付けと洗濯くらいであとは完全に頼り切ってました。父が弁当持ちなのでついでに自分の分も作ってもらってましたし。
今では実家の「帰ったらごはんある。洗濯出しとけば洗ってもらえる。宅配便受け取ってもらえる。灯油切れそうとか考えなくていい。いつでも部屋が超キレイ<<重要」というのがどんだけ幸せなことだったのかを実感してるとこです。
うちは母が専業主婦だったので家は常にきちんとしてたんですよね。幸せって手放してからじゃないとその価値に気づかないものです。
人の髪の毛って驚くほど抜けるものなんだなあ……奥さんほしいという気持ち分る<つまり母親がほしいという気持ちはこういうことなんだななーと。
あたしは、歩道と車道のあいだ、溝に蓋しているような部分ね、あのへんを自転車で走っているけど、車は怖い。
徐行運転するかぎり、歩道を自転車が走るのはしょうがないって思うけど、自転車乗りのわがままなのかなー、これって。
自転車乗りからみて、いくらなんでもって思う自転車乗りの行動は、
一。左側通行を守っていない自転車
で、歩行者側もなんとかしてよって思うのは、
一。何人かで横歩きになっている歩行者(ベルを鳴らしてどかさなくても、自転車を降りて、手押しにしても、追い抜くにはよけてもらわないとスペースがとれないでしょう?それってやっぱり、ほかの歩行者が追い抜きたい場合を考えても、マナーがなってないと思う)