はてなキーワード: 狭心症とは
だってさぁ、高脂血症と高コレステロール血症はデブからきてるでしょ?
高血圧だって、脂が血管壁にはりついて血管が硬くなって狭くなってるからでしょ?
もちろん、遺伝的なもので痩せてても高脂血症とか痩せてても高コレステロール血症とか痩せてても高血圧はいるよ。
でも、体型と高脂血高コレステロール高血圧と全部そろい踏みだったら、わかるよね?
大動脈が硬くなって、なにかの拍子に裂けたり破裂したら死ぬよ。
心臓の冠動脈が狭くなって血が回らなかったら、いわゆる狭心症ってやつで心不全で死ぬ。
塩分は血管内に水分を引き込むから血圧があがるし、逆に塩分を控えればある程度は血圧は下がるけど、そういう問題じゃないんでしょ?
男で60kgから55kgだと標準体重っぽい気がするから、女性かな?
痩せたらモテるよ。
がんばれ。
まぁ、壊したっていっても倒れるとか血を吐くような話じゃない。咳が止まらなかっただけ。呼吸が出来ないのが唯一の苦痛。仕事が忙しくて病院に行けず、行ったころには治まっていた。精神的にも体も若かったと思う。翌年、レントゲンに影が写って。治っているから気にするなと医者に言われた。会社の別の職場に移ることにした。
しばらくして、風邪を引きやすくなったことに気がついた。風邪なんか引かなかったのに。しかも熱が出る。熱が出て節々が痛むってこんな感じなのか!と新鮮な驚きがあった。毎年のことになった。
次の会社の仕事は面白かった。自分でいろいろ工夫できたし、向いていた。天職かもしれないとおもった。だが、数年経って会社が大きく成長した後、軽いノイローゼになった。たぶんあれはノイローゼ。客ががんがん電話で怒鳴る。何とかしなきゃ。でも、会社が動いてくれない。自分だけでは解決できない。仕事に行かなきゃ、とベッドから起き上がると胃の中になにもないのに繰り返しえづいた。歩きながら、おえ、おえと、空っぽの胃を引くつかせた。
辞めた。
気がつくと、花粉症がとてつもなく悪くなっていた。単に年なのか、あるいは病状が進行しただけなのか、それとも過労がたたったのかは知らない。
3番目の会社では違う仕事に就いた。面白かったし、成果も出た。周りもそれなりに重く見てくれた。が、結局2番目の会社でやったのと同じ仕事に移ってくれといわれた。一応選択肢はあるような言い方だったが。
客先の窓のない部屋に詰めた。客は気を使ってくれたが、何とかしなければという気持ちと何ともならない状況で板ばさみになり、1ヶ月で気分がおかしくなってきた。高揚と落ち込みが交互に襲ってきた。やばいやばい、仕事を忘れろ、空を見ろと自分を鼓舞した。これはうつ病への道だと思った。こんなアップ・ダウンに俺の心がいつまでも耐えると思ったら大間違いだぞと自分に言い聞かせた。狭い部屋は薄い仕切り。隣の部屋で、別の会社から派遣されてきている若い技術者が、上司に「お前は熱意が足りない」と説教されていた。冷たい空気が吹いたかった。建屋の周りを何度も歩いた。冬の空は青かった。駐車場は外車だらけだった。みんな山のように払われる残業代を使う方法を、ほかに知らない。ものを買う以外の時間もない。意外なことに心より先に別の臓器が根を上げた。ある朝、上司に電話した。今日、二回発作がありました。たぶん狭心症です。あ、今三回目が始まりました。病院に行く間、2週間ほどは開放された。本当に開放されたのはずっと後だった。
しばらくして、定例電話会議をすることになった。電話会議では客先のある人から繰り返し怒鳴られた。怒鳴られない方法を考えながら必死で通訳した。まじで英語がうまくなったね。あはは。
ようやく落ちついて、これからはこんな目にあわないよう、客に迷惑をかけないよう会社をどうやって動かそうかと考えていた矢先、部門売却が発表された。社長いわく、「残っても居る場所はないでしょ」。売却先に移れば、数年に分けて都合数百万円くらいは追加ボーナスが払われると説明された。説明は口頭。日本法人からはとうとう紙切れ一枚出なかった。
売却前に辞めた。客先に挨拶に行った。たった一人、送別会を開いてくれた人がいた。本当にありがとうございました、どれほど助かったことかと言ってくれた。涙が出そうになった。
拾ってくれた今の会社には感謝している。激務もない。ひどいこともいわれない。だが、もう俺はおしまいかもしれないと感じる。前の会社でおかしくした体は、どうやっても最後の業務以前の水準に戻らない。どうでもいいことで心の平衡を失いそうになる。動脈硬化の兆候が出ている。「傷あとを残さない恋はないのよ」と、昔好きだった女性が言ったのを思い出す。傷あとを残すのは仕事も同じらしい。こんな心と体で、あと、5年生きられるだろうか。
別に長生きがしたいだけじゃない。単に家で待っている嫁に、苦しい思いをさせたくないだけだ。そんなささやかな願いも実現できないのが、俺の人生なのかもしれない。20年前社会に出たときには、こんなはずじゃなかったのに。
そう。ただ勇気が無いだけなんだ。
ここ2日ほど不眠が続いている。
理由は簡単だ。
自分がずっと頼りにしていた女の子が自分の前からいなくなる事が決定したから。
いなくなるって言ったって、他界した訳でもなく片道二時間半位の距離に転勤するだけだ。
ただそれだけの事だ。
その子は会社の後輩で、暗く人見知りな俺とは違い、笑顔で周りの人たちの懐に飛び込む。
そんな子だ。
入社直後の右も左もわからない頃から知ってはいて、その頃からちょくちょくと話してきたりした。
ただ、仲良くなったのはここ二年くらい。
当時、俺がこっぴどい振られ方して若干人間不信になって拒食症とか発病してた頃。
そんな時に会社の先輩主催の飲み会で同席したとき以来、彼女と仲よくなって行った。
それ以後ちょくちょく飲み会で一緒になったりして、仲良くなり、時々ウチに遊びに来たりした。
俺の趣味の料理をいつも美味しそうに食べてくれ、常に「おいしい」「うれしい」というポジティブな感情を表に出して表現してくれる。
そんな子だ。
そんな頃からウチで仲間が集まってワイワイと飲んでゲームしてという事が定期的に開かれる様になった。
そういう時は必ずと言って良いほど彼女がいた。
いや、彼女がみんなを呼んで集めてくれていたんだ。
俺の一向に広がらない人間関係の枠を広げてくれたのは他でもない、彼女だった。
だが、同時に自分が彼女にとって数いる友人の一人でしか無いことも理解していた。
しかし、一方で一つの不具合も抱えていた。
彼女は知らないのだが俺がこっぴどい振られ方をした相手と言うのが、彼女の仲の良い先輩なのだ。
その先輩と俺はもはや絶縁状態で、つまり、俺と言う存在は彼女の人間関係に悪影響を与えかねない。
そんな存在だった。
だから、近づきたい。だが、近づいたら彼女に迷惑を掛けると言うジレンマを常に抱えている日々だった。
そんな折り俺に別の不具合が舞い込む。
この時点で俺は自分の中でドロップアウト宣言をした。
俺が彼女にとっての特別になる事は彼女にマイナスの影響しか与えないと。
ただ、それでも離れて行くのは寂しかったので俺は卑怯にも彼女にとっての物わかりの良いお兄ちゃん的ポジションをゲットするに至った。
永遠に彼女を手にすることはできないけれども、それでも彼女の笑顔を近くで見ていられる。
そんなポジションを選んだ。
今回の転勤の話だって彼女から真っ先に相談を受けた。
彼女は泣いていた。
新しい場所での新しい、いままでにやったことのない仕事。
新しい人間関係。
これらに漠然とした不安を抱くと共に、今まで培ってきた人間関係を振り切って遠くに行かなければならない悲しみとで彼女は泣いていた。
俺はそんな泣く彼女に何もできず、ただ話を聞いて、彼女の頭を撫でるだけだった。
正直、彼女のステップアップを考えていく上で今回の転勤話はプラスであろうと思う。
今後のことを考えれば、今の場所にとどまる理由が一つもない。
だから、俺は彼女に転勤を前向きに考えてみてはどうか?と勧めた。
お兄ちゃんとしては、それを選ぶのが道理だと思った。
そしてその後二日。
俺は不眠症に陥ってしまった。
いつまでも出ることのない思考のループから抜け出せない。
あれほどに、かわいらしく、いとおしく、そう思える彼女が目の前から消える。
相談を受ける立場というスタンスで常に彼女に支えられてきた俺から支えが消える。
そう思うと、涙がこぼれてならない。
でも、こんな思いは胸の奥に閉まっておくべきなんだろうと思う。
そして、これからの新しい旅立ちにおいて、俺は足手まといでしかない。
だから、俺は彼女の前では笑って、見送ってやろうと思っている。
とはいえ、どうしてもあふれてくる思いをどこかにぶつけたくて、ぶつけたくて・・・思わず増田に書いてしまった。
タイピングしながら、画面がにじんでくる。
自己陶酔してるだけじゃねぇの?なんてもう一人の自分が声をかけてくる。
そうかもしれない。
女々しい奴め!四の五の言ってねぇで彼女に思いをぶつければいいじゃないか?振られるのが怖いだけだろ?勇気がないだけなんでしょ?
そうかもしれない。
でも、今の彼女のいっぱいいっぱいの状態に俺の身勝手な思いをぶつけたりするのはどうなんだ?
ほら、また結局そうやって言い訳する・・・。
もう、ほんと、何を考えていいのやらわからない。
彼女が幸せであってほしい。そう思っている。それは紛れもない。
だから、彼女が幸せになるために、俺は何をするべきなんだろう。
何ができるんだろう。
今はそれを必死で考えている。
あたし・・・実は・・・ナースなんだ。
ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。
でも、どうしても言えなかったの。
あたしがナースだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。
わかってる。わかってるよ。
ナースは国家試験を通った人だけがなることができる、人の命に関わる重要な任務だって。
でもね・・。
でもね、全然ちがうんだよ。
あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。
あたしは汚れている。
あたしの手は、汚れているんだよ。
ナースになったとき、すごく嬉しかった。天使になったような気でいたの。
あたし馬鹿だから、人の命を救うんだ!なんて、本気で思ってた。
でもね、全然違ったんだよ。
国から言い渡されたナースの任務は全く別のものだった。
人の命を、まるでナイチンゲールのように平等に助けるようなものじゃなかった。
あたしたちナースに課せられた任務、・・・・それは、ふるいわけ だった。
生きるべき命と、それ以外の命のふるいわけ。
そして、それを見守ること。
ねぇ知ってた?
この世界には、あるんだよ。こんな日本のど真ん中にね、平然と、あるの。
どうなっても大丈夫な命っていうのが。
ナースはね、それを見守るの。
そこにあるだけで、まるで医療が行われているかのような錯覚を起こさせる。
あたしの仕事は、そうやって、平等に医療が行われているかのように見せる暗幕みたいなものだったの。
人なんて、全然、救えなかったよ。
救う義務も権利も、この任務にはなかったの。
例え、その人がどうすれば助かるか、明確に解っていたとしても、
あたしたちは医師の命令が無いかぎり、何一つの医療行為もできない。
あたしたちには薬も酸素も与えることはできないの。
ただ、ただ、走って先生を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。
夜なんかになれば、一つの病院に一人か二人とかしかいないの。
「先生、吐いている人がいます!」
「先生、胸が苦しい人がいます!」
「先生、脈が弱い人がいます!」
「先生、腹痛でもがいてる人がいます!」
懸命にナースたちが叫んでた。
でも医師は一人。
私も声を荒げて「苦しい人がいます!」って叫んだの。
でも、ここでもふるいわけが始まる。
経済状況、年齢、地位。そんなものが病状と一緒くた になって命令が言い渡される。
「とりあえず酸素を」
その日、10秒ごとにナースコールが鳴った。
「苦しい、苦しい、まだ苦しい」
「もう少しだけ待ってください、今先生、来ますから・・」
何度も先生のもとに走ったけど・・・。
あたしは先生に背中側から叫んだ。
「酸素をしても、まだ苦しいみたいなんです!」
「酸素を上げてみて!」
その患者だけじゃない。
「トイレに連れて行ってください」
「シーツが汚れたから替えてください」
「薬を飲ませてください」
「テレビがつかないんのですが」
「眠れません」
廊下を走る。
忙しさに言葉が荒くなる。
認知症の患者さんがエレベーターに乗って外に出て行こうとする。
遠くの病室で、人工呼吸器の異常アラームが聞こえる。
必死にあたしもふるい分けた。
今、一番いのちの危険がある人から、一番苦痛を感じている人から、手を差し伸べなきゃ。
「いつになったら来るんだ!」と言われても。
「遅い」と言われても。
私は頭を下げたり、ちょっと言い争ったりもしながら、
「苦しい、苦しい、苦しい」と言う人のとこに走ったよ。
唇から色が消えていた。冷や汗をかいていた。
あたしは心臓だ!と思った。
あたしは医師の指示を待たずに心電図の検査をした。狭心症の波形だった。
急いで先生に連絡した。
「狭心症の波形です。ニトロ内服させていいですか?!」
「いや、波形を見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」
患者は胸を掻きむしるようにしていた。
「待てません!飲ませます!」
あたしは医師の指示無くニトロを内服させた。患者の苦しさはスッと納まった。
それは駄目なことだったけど、一人の患者を救ったことに、あたしは浮かれてたの。
貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々とナースステーションに戻ってきたの。
ナースステーションの・・・・
ナースステーションのモニターの一台の波形が、フラットになってた。
あたしは急いで病室に飛んだよ。
でも、亡くなってた。
喋れない患者さんだった。
ナースコールも押せない人だった。
あたしは、その日、目の前の苦しい人に夢中で、モニターなんか見てなかった。
それでもね、・・・あたし、まだ、ナースなんだよ・・。
先生は患者の家族に「いつ何があってもおかしくないご年齢でしたから・・」と告げた。
患者の家族は「ありがとうございました」と涙を浮かべて頭を下げた。
そして、あたしにも「看護婦さん、ありがとね」と言ったの。
大好きな、患者さんだった。
この人が歩ける頃から知っていて、喋れる頃から知っていて。
「自分は寂しがり屋だから、最期は家族に手を握ってもらいながら逝きたい」と言っていた。
あたしが新人の頃から知っていて、注射が下手だったのも知っていて、
「おまえは俺が育てたようなもんだ」が口癖だった。
「まぁ、・・・歳だったし、家にも帰れないって言ってたからなー」
と先生があたしの背中ごしに言った。
あたしはモニターの記録を見てたの。
その記録には、波形が狭心症から心筋梗塞となり心停止するさまがしっかりと記録されていた。
歳だから死んだんじゃない、そこには心筋梗塞で死んでく命があった。
でも、そんなこと全部まるめこんで、死んじゃって仕方ないっていう命が、そこにはあったんだ。
似たようなことはざらにあった。
何人もの人が、私の手のひらから零れていったよ。
でも、あたし・・・ナースなんだ。
誰も、辞めろって言わないの。
ナース同士は実情がわかってるから、言わない。
国はきっと、全部知ってて、それ込みで「それが仕事だ」と言うかもしれないけど。
いや、言わないか。国は、何も言わない。きっと。
救えたかもしれない命を、ナースは一番わかってる。見えてしまう。
医師の指示が適してないのも、判断が遅いのも、治療がのってないのも、全部わかってる。
それでも「あの時!」と、自分の行動と判断を何度も振りかえる。
その向こうにはいつも「あのとき、こうしておけば」が、くっきりと見える。
でも、救えなかった責任も、見過ごした責任もナースには問われない。
ナースって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。
くすり一粒すら出せないのに、
検査一つ指示できないのに、
命に関わることなんて、一つも独立してできないのに、
どんなに辛くてもナースしか呼べないなんて。
そしてあたしたちは色んなものを抱えて、あなたの前に立つ。
先生が来ること、来れないこと、
できる治療があること、ないこと、
色んなことを知りながら、なにも変える力もないままに、
さも救いの天使が舞い降りたかのような顔で。
医療が崩壊していく。
全然止められない速度で。
その砂上の城で、あたしは見てるんだ。
沈んでいく人の命を。
1ヶ月我慢し続けて、昨日本番に臨む。
40分→休憩20分→40分→休憩20分の2セットやったらシャワー浴びて食事に行く。
また部屋に戻って2セット、一眠りして2セット、朝食後に2セット
前半は相手に集中できたけど、できること・してくれることは全てやりつくしたので
最後の2回は脳内でイメージトレーニングして、それを補助エンジンにして大気圏突入した。
8回目の最後の最後はリリース感覚はあるのにエクトプラズムが出てこなかった。
ここまでしたのは生まれて初めて。胸が痛くて狭心症が起きたかと思った。
相手の人もすごい、3回もすると普通乾いてくるのに、全然そういうことなかった。
もう少しメニュー増やす工夫しようとお願いしても断られたのが残念だ、記録をあと3回は増やせたはずだった。
帰り道考えてたんだけど、だいたい実働時間が半分だとしてペースは90strokes/minutesで約15000。
来月はたぶん他の人と対戦するような雰囲気だけど、今回のようないいカードにはならないだろう。ユニフォーム交換でもしておけばよかった。
ちょっとひとりごとを書いてみた。何の話してるのか一目でわからなければ幸甚。生々しくならないように言葉を変えるのは難しい。
睡眠時無呼吸は、本とかでてたような。
とりあえず、いびきがあるときには、病院にいってみたら? ご注意を。
チェックはここにもあるよ↓。