はてなキーワード: 小屋とは
昔々に案外ちょっとしたきっかけで決まってたりするもんだよ
の、「ちょっと」が明らかか否かってのが大事だったりする。
今回も、その「ちょっと」の部分を明らかにしてもらったほうが良いと思うよ。息子のためにも後のためにも。
とかとか。こういうのは別に「なんとなく」って言う理由でも良い。ただ、詳しく聞くとちゃんと理由があったりするけど。「授業が45分なのできりが良かった」とか。
で、今回の経緯に疑問・不満があるなら調べて是正を求めても良いわけだ。今回の理由より8:15分より8:00である方が良い理由があれば戻しても良いわけだし、たとえばPTAにお伺いがなかった事が問題ならば、今後はPTAを通すようにしてもらえばよい。こういったルール変更の手続きが明文化されていないなら、これを雛形に明文化しても良い。たぶん、教育委員会とかではある程度明文化されてると思うんだよね。PTAにも何かしら明文化されたルールってのがあると思うし。そういうのも含めて、今回の件が妥当かどうか、既存のルールが妥当かどうか、そういった見直しをする良い機会じゃない?
なんて思った。
とかを思い出しながら。
でも、実際のところ、公に議論し始めると大変なんだよな、とか思った。
を思い出しながら。
これから見に行こうと思ってる人へ
あんま見ないことをおすすめする
1時間半までは
問題は残りの30分なわけで。
上映後、お客はみんなジャガーさんのがっかり小屋から出てきた人みたいにやつれ、
お互い目も合わさず、家路につきましたとさ
ていうかそんなことはどうでもいいんだ。
問題なのは、オレの隣に座ってた女子(1名)
途中から来たので顔は見えなかったけど
服とかおしゃれな感じで
いいじゃない
そんな子が一人で平日朝の10時から松本の映画見に来てるんだよ
好物件すぎるだろ
思えばラーメンズ(一人で)見に行ったときもそう、
ミドリカワ書房を(一人で)見にいったときもそう、
おひとりさまのかわいい子って案外いる
おしゃれでサブカルちょっとオタ
はてブとかチェックするくせに
そんな女の子。
好物件すぎるだろ
超つきあいたい
そして幸せな家庭を築こうじゃないか
どうだ?
問題なのは、なぜそんな子との出会いがないかってことだよ
誰かそういう出会い系作ってよ
サブカル好きしか入れないようなさ
安野×庵野夫妻みたいなんって素敵やん?憧れるやん?
いやまてよ。
絶対需要はあるはず。
集え、隠れサブカリシタンたちよー!
でもオレも含め人見知り多そうだからコミュ自体成立しないよね、きっと
めんどいしやめた
もし行くならあのテロップが出た瞬間に会場をでたらいいさ
UAは超よかったけどね。
UAとつきあいたい
http://anond.hatelabo.jp/20070308230851
襲われるのは自己責任。
とは言わないよ。さすがに。
犯罪者がなんといおうが悪い。
でも、人通りのない暗い夜道を一人で女子があるくようなものだ。
なんていうか、戸締りがなってない。不用心だ。
夏の日差しの強い日にめちゃめちゃ太陽にあたって10年後とかに後悔するレベルの自己責任論だよ。
油断とスキはないように願いたい。
「普段機会がないから自重しているだけ」の犯罪者をなにも誘い込むようなことはなくていいと思うな。
ミニスカートも同様。
渋谷とかでパンツだしながら歩いてる子は多いが、あれは牧場にいる羊だから問題がない。
牧場から小屋に帰る間の林は狼がでるからきをつけなさいよという話しだよ。
群れから浮いた魚をサメは一番最初に食べる。
生き苦しい。生きてるだけで心が痛くて仕方がない。どうすればいいのだろうか。
考えた。が、すぐにやめた。そんなこと昔っから考え続けてる。だから私には期待できない。じゃあ誰かに相談しようか。が、それも無理だ。相談できる人なんて誰一人いないんだから。そんなことをいつものようにぐるぐると考えながら帰る途中、道端で捨て犬を見つけた。段ボールの中から上目遣いで私を見つめるその子犬と目を合わせて数秒。私は閃いた。これだ、と。そして私は子犬を隠した。寂れた公園の半円にいくつか穴が開いている遊具の中に。私だけの場所に。だって、家に持って帰るわけにはいかないし、誰かに拾われてしまっても困るから。この子は大事なんだから。私のこれからを決めるんだから。
翌日から給食の残りを持って帰り、子犬にあげるようなった。子犬は私を見ると尻尾を振り、嬉しそうな顔をして食べる。それを屈んで近くで見る。子犬は数秒、不思議そうな顔をして首を傾げるが、すぐに食事に戻った。私はその様子をじっと見ていた。子犬は食べ終わると満足そうな顔をして私の方を見上げる。私は頭を撫でてやる。幸せそうな顔をして、撫でられるのに身を任せていた。
そんな生活が1週間程続いた。私は準備ができたので、いつものように、しかし、いつもと違うものを持って、子犬の元へと向かった。子犬は1週間で大分私に懐いたらしく、私が近くに寄っただけで、わんわんと嬉しそうに吠えた。近づいてみると、尻尾をぶんぶんと振っていた。それを見た私は、手に持ってたビニールの中身を段ボールの中にぶちまけて、素早く段ボールをガムテープで密閉した。取っ手の穴が開いてるので酸素は大丈夫だろう。子犬は最初何が起こったのかわからないのか、呆としていたが、すぐにキャンキャンと、今まで聞いたことにない大きな声で吠えた。そしてガタガタと段ボールが動く程に暴れた。私が入れたものは、子犬を見つけて閃いた次の日に用意した、魚と鼠と鳩の死体と生ゴミを1週間ビニールの袋に詰めておいたものだ。袋を開けて段ボールに入れた瞬間、一瞬だけだったのに、人間の私ですらあまりの臭いに頭がくらついた。何万倍も嗅覚がある子犬は、逃げ場がない子犬は、一体どうなるのだろう。どうするのだろう。キャンキャンという音を発してガタガタと動く段ボールを背に私は家に帰った。
翌日、段ボールを開けるとぐったりとした子犬がいた。全身傷だらけで、とりわけ鼻がひどかった。おそらく、自分で何度も打ち付け、潰したのだろう。犬は、私に気づくと、私を恨みがましく見つめ、そして何をするでもなく、単に何もできないだけなんだろうけど、またぐったりと倒れ込んだ。私は、中のゴミを出して、元いた場所に戻しておいた。そして私はヒントを得た気がした。
一度要領をつかんだ私は次に、スーパーから段ボールをいくつかと、品物用の緩衝材を貰い、そして学校の飼育小屋からウサギと、用具室から古いCDラジカセを持ってきた。学校の方は夜中だったし、バレないだろう。そして、昨日の子犬と同じ要領で、密閉した段ボールにウサギと最大音量にしたCDラジカセを入れた。人なんか滅多に来ない公園の奥の奥にある遊具の中だし、段ボールを何重にもしたし、緩衝材を目一杯入れたし、多分誰かに気づかれることはないだろう。しかし、少し心配な気もしたので、念のために来ていた上着でくるんで立ち去った。
翌日、微かに音が漏れ聞こえる赤い上着にくるまれた段ボールを開けると、子犬と同じように傷だらけでぐったりとしたウサギがいた。そして同じように耳の損傷がひどかった。ウサギは学校で少し騒ぎになっていたので、その日の夜に飼育小屋に返しておいた。
子犬で得たヒントは、ウサギで確信へと変わった。人より嗅覚が優れる犬は耐えられないとき鼻を潰す。人より聴覚が優れるウサギは耐えられないとき耳を潰す。それでは犬やウサギより心が優れる人間は? そして私は心を潰した―――
「何ボケってしてんだよ!早く咥えろよ!」
男に殴られて吹き飛ばされたまま、昔のことを思い出していたらしい。思い出すだなんて珍しいな。変な所でも打ったんだろうか。そんなことを考えるとまた後ろへと吹き飛ばされる。
「早くしゃぶれっつってんだよ!」
私は目の前に差し出された棒を咥えながらまた考える。あれが私を救ってくれたな、と。だって、あれ以来、あんなに恐ろしかった罵声がちっとも恐ろしくない。あんなに怖かった拳がちっとも怖くない。あんなに臭かったこの棒がちっとも臭くない。あんなに不快だったセックスがちっとも不快じゃない。そして何より、あんなに痛くてしょうがなかった心が、ちっとも痛くないんだから。
私の「仕事場」はネパール東南端の難民キャンプ。ネパール系のブータン難民10万6千人が、「ヒマラヤ」のイメージの強いネパールにジャングルを開墾して造った7つのキャンプで16年にもわたる難民生活を強いられています。
難民たちは、竹で編んだ小さな小屋に身を寄せ合って暮らし、配給食糧の米を主食としています。人口は自然増加しているもののキャンプ用地はそのままなので、年を追ってキャンプでは過密化が進んでいます。
19世紀後半から20世紀初めに経済的な理由から多くの人々がネパールからブータン南部に移住し、ブータン国籍を取得するに至りました。しかし、ネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々は、仏教徒の主流派ブータン人とは民族的にも宗教的にも異なり、80年代からとられた民族主義的政策の結果、ネパール系の人々は国籍を失い、90年代初頭大量にネパールに流入。ブータン政府に対する民主化要求行動も、多くのネパール系ブータン人の国外追放という結果をもたらしました。
かれこれ16年も経てば、キャンプはまるで典型的なネパールの町のよう。学校もあれば、診療所もある。集会所もあれば、障害児を預ける託児所もある。すべてUNHCRの支援でつくられたものです。ブータン難民はネパールでは就労権が認められていないため、国際社会からの支援に依存せざるを得ません。UNHCRは、ネパール政府当局やNGOパートナーらと連携しながら、これら難民の権利を保護し、住居、食糧、水・衛生、保健・医療、教育などの面での支援物資・サービスの提供、および難民問題の恒久的解決の模索を担っています。
キャンプに暮らすブータン難民全員の状況把握をかねた「難民再登録」の作業がようやく昨年11月に開始しました。UNHCRとネパール政府による今年春までの共同事業で、約50人の再登録作業専従スタッフが、一日あたり約1,500人の難民の聞き取り調査と写真撮影、データ入力にあたっています。
90年代初めの到着時に政府が難民の登録作業を行い、その後順次出生、死亡、婚姻、離婚などを記録してはいるものの、10万6千人全体について基本情報をアップデートし、データベース化するという作業はこれが初めて。難民の安全を守り、適切に保護し支援するためには、一人一人がどこの誰で、どういう家族構成で、どういうニーズを抱えているのか把握する必要があります。
また、一人一人写真を撮り、のちに写真入りのIDカードを発行する計画です。写真を撮るのに飛び切りのおしゃれをしてやってくる老人や、カメラの前で緊張して泣き出してしまう子どももいます。庇護国からの身分証明書は、自国政府から保護が期待できない難民を保護する上で欠かせません。
難民再登録事業の実現は、ネパール政府との粘り強い交渉も含め、様々な関係者による努力のたまものです。ブータンへの帰還(わずかながらではありますが)やアメリカなどへの第三国定住など、解決への兆しが少しずつ出てきている中で、この画期的な事業の現場をあずかる事務所の所長でいられるというのは幸いなことです。
16年という長期にわたる難民生活にもかかわらず希望を捨てずに前向きな姿勢を保っている難民たちからエネルギーを分けてもらいながら、様々な国籍の50人の事務所スタッフとともに支援活動にあたっています。