はてなキーワード: 中二病とは
好きだった作品が有名になると、何が嫌かって、そのファンがある特定の目で見られやすくなるからだ。作品は何も変わっちゃいないのに、ファンがたくさんつけば昔からのファンだろうが最近のファンだろうがなんだろうが一括して「厨」「ニワカ」「ミーハー」「分かってない奴ら」みたいになる。他人の事とは言え、「○○のファン?プ。ニワカかw」的に言われると、やはりちょっと嫌な気持ちになる。思わず「いや、俺は前から好きだったから、べつに流行ったから飛びついたとかじゃなくタダ単に好きなだけで」といいたくなる。が、それは「他とは違う俺」ワードとして中二病判定されてしまう(そういうつもりじゃないのだが……)からうかつに言えない。でなんかこう、チェッ、なんだかな、って気持ちになる。別に悩むほどじゃーないし、他人をそこまで気にしているわけじゃないが、しかし全く他人を気にせずいられる人間などまたいないのも事実。結局有名になる前よりはその分だけ嫌な気持ちになったりするのだ。だから嫌なのだ。○○がただ好きだっただけなのに、有名になり広まることで、世間的に色々なレッテルを貼られてしまい、「○○が好き」と表明する事は、(少し大袈裟かもしれないが)別の意味を背負う事となってしまうのだ。好きな音楽を言って、「あーそっち系の人なんだ?」と思われるような、そんな感じだ。「いえ、そっち系とかじゃなくただそれが好きなだけなんです」と言っても、その歌がそういうレッテルを貼られてしまってる以上、周りがそう受けとってしまう。これを偏見とか言うのかもしれないが、それはともかくとして、実際問題そうなってしまう上、皆が結構その事に自覚的でなく、いや、寧ろ積極的にレッテル貼りをして楽しんでる所すらあるので、「いえ、ただ、○○が好きなだけです」は通用しなくなってしまうのだ。それが悲しいのだ。皆が知らなければ知らないほど、それは通用するのだが、知られれば知られるほど、「ああ、そういう人ね」と背負うつもりもなかったレッテルを背負わなくてはならなくなる(大袈裟なのは承知の上で言ってます)。いや、俺は、ただあれが好きなだけだったのに……。また、有名になれば変な評論家が的外れたよくわからん解説をうって、変に社会論と絡めたりして更にそのレッテルは深まっていく。
だから有名になった好きな作品は好きといいづらくなる。俺がどれだけただ好きなだけですと思おうが、他人はそうは思わないのだから。「別に俺は他人になんと思われたっていいんだぜ!」だなんてほどワイルドにはなれん。大体、「○○を好きだといったということは、そういうレッテルで俺はお前を見るけど、当然そう思われるなんてことはお前は分かってるんだろうから、つまり、意識的に俺はそういう人間だという意思表明なんだな?」ととられたっておかしくはないのだ。流石にそこまで誤解されると嫌だ。そもそも他人に誤解されるというのはなんだかんだ、結構嫌なもんだ。他人にどう思われても平気なんてのはある意味無防備極まりないので、どう思われても構わない性格になりたいとはあまり思わない。ある程度その辺に意識的でないと、うまくやっていけないしな……
何にせよ、そういうちょっとした小骨程度の弊害ではあるが、確実にそれは来るから、俺は好きな作品が有名になるのは嫌なのだ。
仲の良い奴らが居て、そいつらがグループに入れてくれるの分かっていながら。
そう言うグループ作るときは積極的にあぶれるようにしてた俺は中二病。
だからそう言う時は嫌だったけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070606142108
こういう論を展開する人を見るとどうしても
と思う。
ていうのは、この人自身『感情の上には理性があるべき』とか
>「機械的に飯食って仕事して誰と話するときでも冷静沈着でどんな物事でも第三者目線で考え」られるような人間というのは、実はかなり理想だ。』
とか言っている割に、本人がそうなりきれてないからだろう。
本当に『感情の上には理性がある』人なら『感情』に対する『理性』という一般にあるような対立項を安直には採用はしないはずだし
(そもそも感情なんてものは他の“モノ”のありようと同じに“ある”と言ってしまっていいのか?とか)
そもそも『感情』という語についてどう考えるかについて何がしかの学説を採るなら採る、独自の立場を採るなら採るでその立場を明示するはずだ。
思うにこの人、所謂ネガティブ感情を理性的に捕らえているんではなくて好悪の情(これもまた『感情』と捕らえるべきだろう)で捕らえてるんではないかな?
…とまあ、その辺りは別に「そういう考えの人もいるよね」ってことでいいんだけども、
>ニヒリズムって言うのかは知らないけど、考え方の底がシニカルなのは認める。懐疑論者だし。
の一説だけはちょっと我慢ならない。
上に述べたように誰が見ても分かる、いわば考察の甘い点がゴロゴロ残っているというのに安直に『懐疑論者』だの『ニヒリズム』だの『シニカル』だの言ってもらったのでは困る。
もっと信ずべき、信じたい対象があるのにどうしても理性的に考えるとおかしい、その点を徹底的に考えていくのが本当の懐疑論者だと思うし、
その末に「駄目だ、やっぱり本当は『無い』んだ」となるのが本当のニヒリズムのはずだ。「自分は懐疑論者である」なんて言う懐疑論者は字義的に言っても間違ってる。
何よりそんな甘い(ゆるい?)考察の時点で自分を『懐疑論者』『ニヒリズム』と決め付けるのは危険だからね、いろんな局面で。
もし本当に本人の言うように生きてゆきたいならば、もっときちんと、徹底的に考えた上でそうすべきだと思う。
そうですか。きっかけってそんなものかもしれませんね。
ちなみに、それから後もほとんど吸わなかったですが、喫煙者の方を中二病だとか吸い始めるやつをタダの頭がおかしい人なんていう風に単純に疑うことは全くなくなりました。
ああ、やっぱり自分が経験した後だと、ボロクソにはいいづらいですよね。
煙草は独特なものです。酒みたいなものかなと今では思っています。
それは既にループネタだけど、自分の場合は身体に悪いだとか色々なデメリットが取り上げられる中、世界でこんなに沢山の人が吸っているのだからきっと良い物なんだろうという興味本位からでした。
ちなみに、それから後もほとんど吸わなかったですが、喫煙者の方を中二病だとか吸い始めるやつをタダの頭がおかしい人なんていう風に単純に疑うことは全くなくなりました。
煙草は独特なものです。酒みたいなものかなと今では思っています。
最初に吸おうと思った動機は何なんだろうか。
一昔前はカッコイイ、とかそういうイメージもあったんだろうけど。20、30代で吸ってる人は、一体どんな動機で吸い始めたのだろうか。
私が物心ついた頃には既に、社会には「タバコ=よくないもの」という空気があった。最早「カッコイイ」イメージは(少なくとも私の暮らす環境では)ほとんどなかった。父親は喫煙者だったけど、「やめなきゃなぁ」なんていいつつコソコソ吸っていたし(ていうか今もだ……父よ……)。まあうちの父親くらいの人は、まだカッコイイイメージがあった時代に吸い始めちゃったから理由は分かるんだが、疑問なのは既に「タバコを吸うと、身体によくないですよ」「他者にも迷惑ですよ」という標語が散々広まっちゃった時代に吸い始めた人だ。何を思って吸い始めたんだろう。中二病的な精神でやらかしちゃって、そのままズルズル、みたいな感じだろうか。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=334578
中二病が一生治りそうにないくらいに自意識がぱんぱんに膨れ上がっている身としては、いけしゃあしゃあとこんなコミュニティに参加できるメンタリティがある健全な人たちがたくさんいらっしゃって微笑ましく思いました。ちきしょう! ちきしょう!
なぜ…
なぜ、教師は最初に子供に善を教えるんだろう。
なぜ、童話では正直者のおじいさんが財宝を手に入れ、漫画でヒーローが活躍し、ドラマでは恋人たちは最後には結ばれるんだろう。
「努力は報われます」
「希望を持ちなさい」
「自分がされたら嫌なことを、人にもしてはいけません」
「愛すれば、きっと報われます」
到底、不可能なこと。無意味なことを。
人を笑いながら踏みにじる人間が、社会で重要な地位を占めていく。
好意はどこにも届かない。
私にはそれについて異議申し立てする資格もないし、元よりそんなことをするつもりもない。
だけど、ただ、たった一つ、言いたい。
なぜ、最初に嘘を教えた?
なぜ、最初に道徳を教えた?
なぜ、最初に友情や愛情の存在を教えた?
なぜ、不確かな未来に於いて、私がそんなものを手に入れられると言った?
最初に、善いものを、美しいものを、綺麗なものを知らなければ、こんなに苦しむことはなかった。
こんな取り返しの付かない感情に、身を焼かれることもなかったのに。
2060年頃、ありふれた人生を終える恐怖 (+追記)を書いた増田です。わかってると思いますが「追記」は悪い意味での煽りではないです。
全て読ませていただいた。罵倒も含めて全てに感謝。増田先輩と増田後輩にも感謝。いろんなことを考えてみてる。以下は考えがまとまらずインスピレーションに任せた、狂ってるわけではない。そう、ポエムだ、中二病らしいポエム。
【自殺】却下。奇跡的なスーパープレイで受精卵タッチダウン決めたのになんでそんなことを?
【諸行無常だからあきらめろ】却下。インド人がそう言ってたってのが理由だろ?彼はたしかに諸行無常だと理解したのかもしれん。そうかもな、とも思う。だけど、ソース出せって言われて「シッダールタが言ってたから」って現代なら儲乙で一蹴だろ。考える手掛かりかもしれないが、自分が体感しないなら無意味。
【人生に意味は無い】意味は無いものに意味は無い 証明終わり。そんなコトバは意味が無い。
【人生に方向性はない】これには同意。でも「心」はなんとなく好きな方向はあるらしい。「血迷え!」と叫んでくる心の声は、運転中カーナビの指示に従わなかったとき、「ルートを再検索しています」とうるさくカーナビが言い出すのに似てる気がしてる。
【仕事をなめるな】仕事てのはコストを抑え利潤を最大にして最後に売上金を回収すること、そういうの得意。しかも、面白いよね。たいていの人は一生はまる。この「仕事」のことをMMOfflineRPGと名付けるのはどうだろう?自分も「廃人」になって人生を捧げることができる気がする。これはひとつの素晴らしい解決策だ。そういう意味で「仕事をなめるな」てことか。
ところで、このゲームはいつゴールがある?ドラクエでレベル99上げるみたいに貯金通帳のスコアを9桁にしたらゴールか?これなら難しいな、たしかに。でももし解決したとして、その先は?読経をバックミュージックにしたエンドロールか。ハイスコアなら「お悔やみ欄」にだって出れるね。
それとMMOfflineRPGをログアウトしたら何が見える?何が残る?
猿が人間に追いつけるか?実はまだ私たちはモンキーなんだよ、増田。
私たちはムーピーゲームの真っ最中かもしれない。マトリックスの中かもしれない。「私が死んでもかわりはいるもの」問題は他人事として長年放置されすぎてきたのかもしれない。現代の本当の虚無僧はネットを徘徊するブクマ托鉢僧かもしれない。私は別な方向に向かいたい。上位現実を素足で歩かなければいけない。
なんだ?実存の話ぽくなった気がする。思春期の悩みを蒸し返してるのか?言いたいことがわからなくなった。
ただ、崖っぷちにたってきちんと失敗して、ああ、あの時は本当によかったんだなと気づいたとき、過去にさかのぼって成功していたことが実感できる。少なくとも、そういう意味で会社を辞めることは良い。悲しみよこんにちは、わるくない。
しがみついていれば気持ちいいけど、いつ目が覚めるかわからなくて、覚めるとしがみついてたことを後悔するっていう。
で、「覚めたぜ」って思ってもまだ別の夢の中にいるだけで、やっぱり後で後悔してしまったり。
俺も後悔しそうだ。
分かるなぁ。。
一生涯 中二病でいたい。
周りから見たら超痛いけど個人的には楽しい。
飼い殺されるのは嫌だし、自分の意思で生きてる感覚がある。
生き辛いけど。
昨日はすぐ寝た。今日は休む。
嘘つくと動揺してバレるタイプなんで本当のことを言う。
電話「なんか、病気みたいで、、調子悪くて、、頭とか痛くて、、はい、、ご迷惑をおかけします」
翻訳「中二病で調子はずれしてて自分が痛いので休みます、すみません。」 これ、嘘はついてないのでバレないはず。
朝、昨夜のブラ談義を読んでて、「トップ92cmでアンダーが87cmだからBカップだよね?勝った?」と高校生の頃に女子に言ったら心底怒られたことを思い出した。
それと、かわいい下着で興奮しても外したホックのそばに日本語のタグがあるとすこしだけ正気に戻る気がするのは自分だけではないはず。
うひぃ、気持ちが分かりすぎてたまらん。
思うんだけど最近の日本人って割と以前より中高の時に反抗期が来ていない気がする。
今なんかネットもあるから更にそう。子供が変に大人になってる。カッコワルイことをしなくなってる。子供らしい幼稚さを見せなくなってる。
変に賢い子ぶってしまうというか。反抗期ってのは「畜生、大人なんて…いい子ぶってるのなんてカッコワルイぜ」的なところからくるもんだけど、「思春期っていうのは皆そういう反抗期があるものなんですよ」というのが子供にまで広まっちゃったから、今度は逆に「ガキみたいに大人に反抗するの、カッコワルイぜ」的な子が増えた気がする。無論、まだまだ模範的思春期を迎える子もいるが……。基本的にあの年代って天邪鬼な奴多いからな。俺もそうだったんだけど。
それで「親に反抗したってしょうがないじゃん」「ミュージシャン?そんなんよっぽど才能と運がなきゃなれんっしょw」「しょうがないよ。今の日本終わってるから」みたいに分かってる風に構えてみる。でも多分、それは一種のかっこつけで、心の奥底では色々煮えたぎってるものがあったりする。でもそういうのをさらけ出すのって「カッコワルイ」から、気取って中高をすごして、……それから大学や社会人になってようやくそういう素直な思いをさらけ出すようになる。
まあ、それだけじゃないんだろうけど。
ともあれその気持ちはすっごくよくわかる
アドバイスはできないけど
「平凡な人生が一番いいんだよ」なんて言うけど、その人は突然金持ちになったとしてもそんな事が言えるのだろうか。「平凡が一番さ」というのは、分かる面もあるんだけど、どうしても「平凡にしか生きられないから、平凡が一番いいんだって思い込もうとしているだけなんじゃないのか?」って思えてしまう。だって、数多の選択肢から平凡な人生を選び取ったわけじゃない。最初からこれしかなかったのだから、これが良くないとなるとほとんどの人に絶望が訪れる事になる。だからこういうお茶を濁すような言葉が昔から語り継がれているだけなんじゃないかって……平凡な人生が一番いいんだなんていう人はそもそも、平凡以外の人生を歩んだ事があるのかよ?って……思ってしまう。俺もかなり遅れて中二病がきたようだ。
逆に見た感じすげー美人だったりおにゃのこらしく可愛らくしてたりしても中身は漢って場合もあるよ。私の周りはそんな子が何人かいる。まあオタク率高いけど。私も昔は単にガサツなだけで男物とか着てたけど(中二病の症例の一)、今は普通に年相応の女性の身なりをしている、はず、で、たまに漢らしいと言われるしエロも好きだ。
「女らしくしたくない」という子は自分の中の「女らしい」要素を意識していることに他ならないので、むしろ元々女性らしさに抵抗の無い層よりも女らしい可能性もあるぞ。それぐらいは考えないと好みの押し付けになるぞ。
性に限らず、自分に与えられた立ち位置に疑問を持ち、曲折を経て受け入れ、しかしその疑念を忘れずに生きてる人はすげー面白いよ。諦めずに探そう。そして励もう(エロに)。