はてなキーワード: 中二病とは
■枕部削除本題剥き出しVer.
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
■ウェブで長文書いて議論してるのを見ると 改行Ver.
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。
はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。
どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。
知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。
ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。
損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり、松下幸之助も中内功もビックリな制度。
ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。
この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。
といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。
そんなことされたら困るよねー。
原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。
ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生(商社出身)もやったことあるって言ってたよ。
んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。
2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。
世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。
しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。
A4一枚分以上は紙で読みたい。
こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。
そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。
これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。
あ、ごめん妄想入った。
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。損して得取れなんて無理無理無理無理かたつむり、松下幸之助も中内功もビックリな制度。ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。そんなことされたら困るよねー。原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。ちなみにこのテクニック割とメジャーなようで僕が講義を受けた国際取引法の先生(商社出身)もやったことあるって言ってたよ。んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehackだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。A4一枚分以上は紙で読みたい。こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。あ、ごめん妄想入った。文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。それこそ昨年末のK-1みたいな。お前2時間でいいじゃんみたいな。ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。そんな目で見ないでお願い。それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。切ないなぁ、ああ切ない。大島弓子ばりに切ないよ。伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。非モテでわーわー言ってる人は『太陽の塔』でも読むといいよ。あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。ってかこれって物象化じゃないのか。マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。中二病といいたければ言うがいいさ。でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。どうせスルーされるんだろうなぁ。
美辞麗句にfuckingとか付けたくなる中二病にかかっています
いまの世の中、美辞麗句に素直に反応する人間が望まれているんだろうね
どこかのサナトリウムに行きたいね
長野あたり?
■「安倍さんには芸がない。日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生、日経インタビュー)‥‥女史この他にも名言を大連発!
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20070104113125/index.html
「美しい国」というスローガンは,抽象的で困るな。なんとでも好きなように解釈できる言葉だ。安倍首相のホントの狙いは「美しい日本を守るために既得権者を守りましょう」ということではないか。もしくは「美しい日本を守るために現状をいじらず何もしないで寝ている総理がいい総理なのです」ということか。
単に重箱の隅をつついているような内容はどうでも良いのだけれども、「『美しい国』というスローガンは失敗」というのは同感。要するに、「美しい国だから国を愛して欲しい(愛国心を持って欲しい)」とか、そういう意味も含んでるんでしょう、よく分からないけど。でもさ、「恋愛は精神病の一種(by涼宮ハルヒ)」な訳ですよ。打倒恋愛至上主義(by本田透)な訳ですよ。それならば、『親しみの国、日本』を目指した方が良くね?夫婦愛も、「恋愛」から「親しみ」に変わるのが科学的常識になっている訳じゃないですか。愛にロマンを感じるのは自由ですが、情緒性より、実効性圧力(by草薙素子)を重視して欲しい訳です、一般庶民としては。安倍さんには、実直的理念が向いていると思うし、『美しい国』なんていうどれくらいの人間が共感するのか分からない高邁な理念よりも、私としては、もっと日本という国に「親しみ」を持ちたいし、みんなにも持ってもらいたい。日本に親しみを持って欲しいことに対して、反対する人はまずいないんじゃないですかね?
もう一つ。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_3032.html
どのくらいの人がちゃんと読んでいるのか分かりませんけど、私も5分くらい流し読みしました。が、まあ、そこそこ妥当な机上の空論が書いてあるんでしょうね、といった感じ。でも、スローガンの『希望の国、日本』は失敗だと思います。まあ、経団連の年寄りのセンスなんて期待するな、ということなんでしょうが。『希望の国』という言語センスは情緒性に富む文学な表現としてすばらしいのかも知れません。でも、実態は、「さっぱり分からねえ(by孫悟空)」な訳です。
具体的に言うと、13ページから。
「希望の国」の国柄は以下に説明する3点に要約できる。
1.精神面を含めより豊かな生活
3.世界から親しみをもたれる社会
2は、「公平だからみんなにチャンスがある」みたいなニュアンスにおいて、『希望の国』となんとなく関係ありそうな気はするんですが、1と3は『希望の国』とどういうつながりがあるのよ?無理矢理結びつけてんじゃないの?みたいな感じ。本当に『希望の国』を要約したのかよ?みたいな。
私だったら、もう少し分かりやすく、『可能性の国、日本』とでもしますよ。まあ、ニュアンス的にはほとんど一緒ような感じですが、日本に希望を感じない理由というのは、日本の可能性のなさに閉塞感を感じ、絶望しているからでしょう?winny裁判のように、テクノロジーの可能性を否定されたり、怪しげなネット財閥が潰されたりするから、「既得権益には勝てない、働いたら負けだ」という絶望を生むんでしょう?労働者の鼻面に「希望」という幻想のニンジンをぶら下げて、死ぬまでこき使い、労働者の流動性は認めても、社会階層を事実上固定させようと経団連が考えていると誰もが邪推するとか私は思いますが。実力主義をうたいながら、下克上を認めないシステムな訳ですね。で、日本では暴力革命は起こらないと踏んでいる。
違うというなら、「あなた達には、こういう可能性がある。今のところ、大体、成功率は50%くらいだ。しかし、その可能性を上げるための法案が提出される予定がある。また、そのことを説明する文書をサイトに載せた。そこには、経団連のポータルサイトのリンクから行ける」みたいな現実的な提案や客観的な話を聞きたい訳ですよ。政治的な都合で、無理矢理整合性を合わせたような話はどうでも良いんですよ。
つまり、「我々にはどういう可能性がどれくらいあるのか。どこにベット(賭ける)すべきなのか。その可能性を広げるためにどういうことをやるべきなのか」が知りたい訳ですよ。リストラされて浮浪者になったオジサンにしても、30過ぎて焦っている女性にしても、同級生の少ない子供達にしても。大体、「希望」って、主観的なものですが、必要なのは、客観的な数値でしょう。『可能性の国、日本』というキーワードからトップダウン式に考えていけば、優秀な人ばかりでしょうから、日本にはどのくらい可能性があるのか、ある程度、客観性のある数字を出して、国民の目から見てもそれなりに説得力のあり、それなりに希望の持てるビジョンを具体的に示していけると思うんですが、甘いでしょうか。
・・・いずれにしても、偉い人が年寄りの文系しかいないから、情緒的で美麗美句のゴニョゴニョした、中身があるのかないのか分からない政治的に調整されたような文章になるとしか思えないんですが。権威なんてどうでもいいから、私のような馬鹿にでも分かる(納得できる)スローガンを分かりやすく提示して欲しいですよ(もちろん、「分かりやすさの罠」もあるし、その辺はある程度割り切る必要があると思いますが)。小泉さんは、私のような馬鹿でも分かることしか言わなかったから、人気が出た訳でしょうし。中二病じゃあるまいし、背伸びする必要はないと思います。もちろん、政治はそれほど単純なものではないんでしょうが、訳の分からないものを出されても、訳が分からないとしか答えようがありません。