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2010-03-24

「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という幻想について

ttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20090204/migi

 最近、私が見たそんな「謎」は「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい “But whoever strikes you on your right cheek, turn to him the other also.”」という言葉です。新約聖書マタイ伝の中に書かれているイエス・キリスト言葉です。この言葉を聞いた人が書いた、「あれ?ふつう右利きの人がほとんどですよね?だとしたら、右の手で相手をぶつんだから、(頬をぶたれる側の人からすれば)左の頬を打たれることになるんじゃないですか?最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問を眺めたのです。…確かに、不思議です。世の中の90%くらいの人が右利きだということを考えると、ぶたれる頬は「左頬」が自然です。相手から「右頬」を打たれる、というのは何だか不自然です…?

 そこで、Wikipedia の”Turn the other cheek”の項や、「右頬を…」という言葉を解説した文章を読んでみると、とても興味深い(もっとも支持されている)説を知りました。それは、この言葉で勝たれているのが、「右手の甲で相手の右頬を打つ」という状況だった、ということです。確かに、右手の甲で相手の顔を払うように打つのであれば、(頬をぶたれる側からすれば)右頬が打たれることになります。そして、古代ユダヤ世界では、「手の甲で相手の頬をたたく」ということは、非常に相手を侮辱する行為で、自分より「階級・地位」が下である者に対してのみ行うことが許されていた、というのです。また、当時は左手は「悪い」側の手とみなされていて、自分の主張などを行う際には使うことができませんでした。だから、「右手の甲で相手の頬を打つ」というのは、「自分より地位が下のものを、侮辱しつつ叱責する」という目的で「ごく自然に行われていた」行為であった、というわけです。なるほど、だとすると、「最初に、右の頬を打たれたらってヘンじゃないですか?」という疑問は氷解します。…だとすると、今度は次の疑問が湧いてきます。「さらに奥にある疑問」が浮かんでくるはずです。「右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい」という言葉は、一体どんなことを言おうとしてるのでしょうか?

 「左の頬を向けられ」たら、(右頬を打った)相手はどうするでしょう?左手は使えませんから、左の手の甲で「左頬」を打つことはできません。だとすると、右手の掌で相手の左頬を打つことになります。…しかし、(自分より相手の地位が下だとみなす行為である)手の甲で相手を打つのではなく、「掌で相手を打つ」ということは、相手を自分と対等だとみなすことです。つまり、「自分より身分が下」だと蔑んでいる相手を、「自分と同等の人間である」と認める行為になってしまうわけです。(頬を打った側の人は)大きなジレンマを抱えてしまうことになるのです。

 つまり、この言葉は、単なる「相手の暴力差別に対して服従・無抵抗になれ」という意味ではなく、「暴力は使わず、根本意味におけるより強い抵抗を示せ」という言葉であった、というわけです。旧約聖書の「目には目を」という「報復行為」と対比されることが多いために、私はこれまで単なる「無抵抗主義を示す言葉」だと思っていたわけです。しかし、実はそうではなかった…ということがとても面白く、興味深く感じたのです。

2009-10-19

目標

ターゲットは珍しくまだ定められてはいない...。

良いか?案外マニュアル指向であるワタシは今まで、聖書に書かれている通りにそのまま実行したまでである。

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。

敵を愛し、迫害する者の為に祈れ。

マタイによる福音書」のくだりに在る通りにそのまんま。

「敵」を定め、「敵」を憎み、「敵」を愛し、「迫害する者」の為に祈ったまでである。

また、はりつけにされたイエスの如く、こうも言っただろう。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」

これぞ拷問挑発の正しい作法であるので覚えておくと良い。

いかにも、異教徒もまた「敵」を定め、「敵」を憎み、「敵」を愛し、「迫害する者」の為に祈るに決まっているからである。

これまでの闘争の担保でありグラウンド・ゼロのトリガー。しかしながら今回ばかりは些か様子が違うようだ。

                      〜T.H.

2009-05-13

大学テキストクオリティが低い

大学テキストに誤字脱字・図表の漏れとかあって、基礎的なクオリティが低いのに、値段だけは専門書並みに高い。

これなら、同じお金かそれ以上出してでも、その分野の名著といわれる書籍とか、アマゾンで高い評価の本でも買った方がいいように思える。

もしくは、入門書なら複数読んだ方がいいとさえ言われているから、クソ難しく誤字脱字だらけのテキストを読むより、ブックオフで安い古本を数冊買って理解した方が、将来のためになりそうな気すらしてきた。

実は、優秀な学生が集まる大学教授は、やはり優秀なので、教科書も高品質じゃないかと思う。

こうやって、マタイ効果が蓄積されるんだろうなとか思ったり。

ちなみに、この科目のテキストのデキが悪いだけで、ほかのテキストは市販本のものより面白かったりするのもあるけどね。

2008-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20080706054319

持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。(マタイ13:12)

いや、その通りだよな。

衣食足りて礼節を知るという言葉があるけれど、全体的には恵まれた奴の方が余裕がある分もてはやされたりすることが多いんだ。

でも、その事実はむしろ恵まれない奴にとって救いになると俺は思う。


世の中では「恵まれない奴の方が人間的に成長できる」とか言われている。確かに、不遇な環境をバネにして成長できる奴もいる。だけど、全員がそうなれると思ったら大間違いだ。サッカーフランス代表の最近の名選手ジダンをはじめ郊外の貧民街の出身者が多いが、貧民街の出身者でジダンになれなかった奴を「努力が足りない」って切り捨てるならそれは酷ってもんだろう。


ところが、世の中はその手の幻想で満ちあふれてるんだよな。一番問題なのは、当の恵まれてない人間までもがその幻想内面化してしまうことだ。

だが、世の中の競争ってのはもともと不公平なんだ。金持ちのぼんぼんが親の現状を維持すれば「勝ち組」だが、貧民街の出身者が親の現状を維持すると「負け組」だ。判断基準自体が公平じゃないんだよ。

マッチョウィンプとかモテ非モテの話を見てて思うんだが、「努力が足りない」と思いこんで自分を責めてる奴が大過ぎやしないか。世の大半はマッチョよりウィンプに近い生活を送ってるはずなのに、マッチョの方が支持を集めすぎてやしないか。そうして、ウィンプであり非モテである自分を責めたあげく「自分はどうしようもない」とやけを起こして暴発してしまったのが加藤容疑者じゃないのか。


つまり、「恵まれてない奴の方が努力できる」という幻想は、バネどころか足かせにしかなっていないというのが現実だと思うんだ。だから、幻想幻想であると認識することによって初めて、足かせを壊すことができると思うんだよ。

恵まれてない人間は、「自分は恵まれてない、ハンディを背負っている」という事実をまず自分に対して認めるべきだ。そうやって開き直ってはじめて、恵まれてない人間は、自分の境遇をバネにする前提が芽生えると思うんだ。

2008-03-05

サークラ否定論

実際ヲタの集団でチヤホヤされている女性なんて見たことがない

http://d.hatena.ne.jp/torly/20080113#1200248485

この記事に対してみんなブクマコメントで「私は見た」とか「寝たこともある」とか色々言ってますがそんな伝聞証拠がなんの足しになると言うのでしょうか。こうやって一方的に「証言」を並べればまるで正しい意見が間違っているかのような印象を人々に与えることができるのです。なんといういやらしい印象操作

ポイントは、たとえサークルクラッシャーがなかったとしても「サークルクラッシャーはいた」という議論を展開すること自体はそれほど難しくない、ということ。男女間のトラブルなんて皆無のサークルなんてほとんどないんだから、よくあるサークル内での二股や三角関係や集団強姦などに「サークルクラッシャー」というラベルを貼れば、はい、一丁あがり!なわけです。だから問題はそれらの行為と「サークルクラッシャー」との差分なのです!

・・・っと。ぽちっ。

さー、釣れるかなー?

釣っれるっかな♪釣っれるっかな♪はてはてうっうー(はてうっうー)♪

うおー!ブクマ数すげー!!

さすが俺!さすがアルファブロガー!!さすがアルファブロガーの俺!!!

さーて、ここまで来ればあいつが食いついてくるはず・・・

キター

rApemanのまとめキター!!

GJGJ!!rApeman GJ!!!

計画通り!( ̄ー ̄)ニヤリッ

ってあれ?なんで俺叩かれてるの?

うわーーーうぐぅ

まだわからないのか(マタイ16:9)

この「三分でわかるサークラのまとめ」を書かせた俺のGJぶりがわからないのか!?

愚民めらが!!

なに?「三分でわかるまとめ」に意味なんてない?

なんだよこのrApe野郎!俺の計画根本から否定かよ!ふざけんな!!

反論したる反論したる完膚無きまで反論したる。

どうだ?どうだ?

うわあああーーーーーっ!

ネガティブコメントばっかじゃん!

なにおまえら?アルファブロガー叩いて優越感ゲームかよ!?

おめでてーなーこのイナゴ野郎!!

お、こいつわかってんじゃん。ぽちっ☆っと・・・

しかし冷静に見て圧倒的に劣勢だなこれは。

このままじゃ俺様が、アルファブロガー俺様が、

馬鹿な否定論者と一緒にされてしまう!

なんだよおまえら、くそもみそも一緒かよ?

くそみそテクニックかよ?

ここは戦略的撤退というものを見せてやる!

東芝西田社長もかくやと思わせる華麗な撤退を!

わからせてやる!ビジネスにおいて引き際が肝心ってことを!!

わからせてやる!引き際をわきまえた俺のビジネスセンスを!!

謝罪!謝罪!海よりも深く謝罪!

(でもおまえらにではないぞイナゴ野郎

見よ!俺の潔さに心打たれたはてな村民が、

ペルセウス座流星群のごとく☆を降らせ・・・

はぁ?みっつ?たった三つかよ!?

そしてまたブクマコメは言いたい放題・・・

ちくしょう・・・

※この物語フィクションです。実在の個人・団体・アルファブロガー等とは一切関係ありません。

2008-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20080117211547

『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯しているのです。マタイ5.27-28

俺なんか毎晩ほしのあき矢吹春奈職場の先輩の××さんとやりまくってるってことだよな!

2007-12-24

マタイによる福音書 第5章

3"Blessed are the poor in spirit,

for theirs is the kingdom of heaven.

こころ貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

4Blessed are those who mourn,

for they will be comforted.

悲しんでいる人たちはさいわいである、彼らは慰められるであろう。

5Blessed are the meek,

for they will inherit the earth.

柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。

6Blessed are those who hunger and thirst for righteousness,

for they will be filled.

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

7Blessed are the merciful,

for they will be shown mercy.

あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。

8Blessed are the pure in heart,

for they will see God.

心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。

9Blessed are the peacemakers,

for they will be called sons of God.

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。

10Blessed are those who are persecuted because of righteousness,

for theirs is the kingdom of heaven.

義のために迫害された人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。

2007-11-27

おーい、はしごたんよ。

 聞く耳を持ってくれるかどうかはわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。

 今のおまえさんの様子を見ていると、俺はなんとなく20世紀ユダヤ人歴史連想してしまうんだ。

 イスラエルを建国した当時、ユダヤ人と言うのは確かに虐げられた民族以外の何物でもなかった。でも、それから60年間の歴史を見通して、現在イスラエルはどうだろうか。むしろ他人を虐げる側に回って、しかもその行為を

「かつて自分達は虐げられていたから、自分達の生存のためには全てが許容される」

という形で正当化しているのではないだろうか。

 現在イスラエルの全てを肯定して無批判に包み込むだけが、イスラエルとそれに関係する全ての人を救う道だとは、俺にはとても思えない。イスラエル政府パレスチナアラブ人を扱うやり方が、ホロコースト体験によって全て正当化されるとも思えない。

 はしごたんに対しても、俺は同じことを思う。俺はおまえさんの過去を追体験することなんて出来ないが、それを軽んじる気は全くない。でもそれは、おまえさんの過去に関わっていない人を攻撃の的とすることを正当化するのだろうか?

 まあ、イスラエルの話は脇に置いておくとしてもだ。

 そんなおまえさんを誰かが全肯定して包み込んでくれるなら、確かにその時は気持ちがいいかもしれない。救われた気にだってなるかもしれない。それを否定はしない。

 でもさ……その後どうすんの?

 もしその後を考えずに、その場その場の救済だけに人生の全力を集中するとなれば、例え一晩であれ二晩であれ、おまえさんはMasaoに人生の全ての重みをかけた救済を求めるってことになるんじゃないの。そんなむちゃくちゃヘビーな荷物を他人に負わせて、いったいどうすんのよ。

 それに、その一日か二日が終わった時、おまえさんは相手(Masaoであれ誰であれ)に背負わせた人生の重い荷物をもう一度背負いなおして、帰りの電車に揺られて帰らなきゃならないわけだけど、一度降ろした荷物をもう一度背負って、家路につくことが出来るの?

 はっきり言って、いまのはしごたんにそれが出来るとは、とても思えない。一度重荷を降ろして身軽になって救われたと感じた人が

「さあ、これで救済の時間は終わったから、また重荷を背負って帰りなさい」

と言われて、はいそうですかとはなかなか言えないと思うぞ。

 イエス・キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28新共同訳)と言ったけど、もしその数日後にイエスが「さあ、私はこれでいなくなるから、また重荷を背負って家に帰りなさい」なんて言おうものなら、多分その途端に教団は分裂して、その後のキリスト教なんて生まれてなかったろうな。

 実際には当のイエスが処刑された後でさえ、遺された人々は復活神話まで作り上げて、重荷を軽くしてくれた神の子の下になおも留まり続けようとしたんだ。この時に遺された使徒たちによる伝道がその後のキリスト教会発展の土台を作り上げたんだけど、早い話が、イエス本人がいなくとも重荷を恒常的に降ろしておけるような場として、教会システムを整備したわけだ。

 要は、一度降ろした重荷をもう一度担ぎ上げることは、誰にだってなかなか出来ることじゃないってことだよ。はしごたんに限った話じゃなくてさ。

 自分で自分の感情を完全にコントロールするなんて、神ならぬ人間の身にはたぶん無理だと俺は思う。俺自身だってそうだし。

 今は“その後”の感情をコントロールする自信があるのかもしれないけど、俺は今現在の自信をそんなに当てにしない方がいいと思うな。

 まあ、少し考えてみてよ。

2007-04-27

マタイの法則」に近いけど微妙に違う?

http://anond.hatelabo.jp/20070426153832

「発言力の大きい人が成果を横取りする」という部分については、「マタイの法則」という名前が付いていたり。

2007-03-09

メガネをはずすと何が見えるか

前回は、色メガネのお話だったね。

メガネ長所短所 http://anond.hatelabo.jp/20070308202932

今回は、メガネをかけない場合のお話だよ。でも、メガネをはずすと何が見えるかを説明するのはちょっと難しいんだ。だからまず、メガネをはずしているみんなのお友達に、何が見えるのか聞いてみよー。

ベツレヘム生まれのお友達のお話

みんな同じお父さんの子供で兄弟だよー。だからみんなで仲良くしよーよー。あと、自分の目の中の丸太を取ると(色メガネをはずすと)よく見えるようになるよー。」

ルカによる福音書 http://www.cozoh.org/denmo/Luke.htm#C10V25

マタイによる福音書 http://www.cozoh.org/denmo/Matthew.htm#C7V3

インド生まれのお友達のお話

「執着がある間は(色メガネをかけている間は)苦しみは無くならないよー。」

仏教聖典 http://www.geocities.jp/gikooh/bukkyo-seiten.html

中国生まれのお友達のお話

メガネをはずすと何が見えるかは、言葉では言いにくいなー。まずはメガネをはずそうとすることが大事だよー。」

道教 http://www.geocities.jp/hgcbw269/mitikyou.htm

もう一人のインド生まれのお友達のお話

「僕はメガネをはずしたら、こんな風に見えるよ。」

私は何者か? http://www.h5.dion.ne.jp/~babaji/babaji.html

メガネをはずすと何が見えるのか、少しは分かってもらえたかなー?

みんなも寝ている間はメガネをはずしていると思うけど、今度から時々、起きている間もメガネをはずしてみたらどうかな。

僕がメガネレンズに例えていたのは、意識の焦点の合わせ方だよ。

メガネの色に例えていたのは、前提とする価値体系のことだよ。

こういったものを変化させていくことは、練習すると出来るようになるから、興味があったらやってみてね。

練習方法は、お友達に詳しい話を聞いてね。

もし詳しく知りたい人がいたら、こんな本もあるよ。

解脱の真理 http://www.amazon.co.jp/dp/4760500243/

解脱の真理 完結編 http://www.amazon.co.jp/dp/4915497070/

これは一続きの2冊の本だよ。メガネをはずす方法がしっかりと書いてあるよ。

英語でもいいなら

A Course in Miracles http://www.amazon.co.jp/dp/0670869759/

が、とても詳しく書かれているよ。

みんなのお役に立てたか分からないけれど、これで僕のお話はおしまいだよ。

それじゃ、ばいばーい!

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