はてなキーワード: スラムとは
だから「オタは氏ね」なんだろ。
いや本当ね、前のサークラの件もこれと似た感じだったんじゃねーのと思うよ
オタはなんでも自分の都合のいいように解釈するから
極端な話「あなたのこと嫌い」って言葉すら「嫌いっていうのはどうでもいいよりは可能性がある!寧ろあとちょっとで好きになってくれる!」とか(さんまとかがよく言うからかな?知らんけど)勘違いするからな、オタって。知り合いにマジそういう奴いたよ。
もうそこまで来ると「女の子のかわし方がどうの」ってレベルの話じゃないんだよね。言葉通じない野獣相手なんだから。そもそも非モテオタばかりがいる所には近寄っちゃいけないわけ。スラム街にカタギが近寄っちゃいけないように。
オタが「全然女の子と知り合えない」とか「サークルにそんな子いない」とか言ったりしてるけどそれは当たり前なんだっつーのwお前らがそうしてるんだって。それを全然わかってない。お前らオタ自身が、そういうスラム街を作っちゃってるんだから、近寄ってくる女なんているわけねーだろ。別に今のご時勢ネットでいくらでもオタ話できるし、イケメンのオタも増えたしな。本当非モテ系オタは自分達のそういうキ○ガイじみたコミュニケーション感覚どうにかしないと、どんどん自分で自分の首絞めてくだけだぜ。そんなコミュ能力じゃ社会でもまともにやっていけそうもないし。まあそれで勝手に自殺するなら構やしないけど、自分のせいなのに開き直って他人や社会のせいにして犯罪起こすのだけは勘弁しろよな。
夜中三時にスラム街歩く方が悪い
「が」悪いといってる奴は見たこと無いのだが。仮に居たとしてそんなに多かったのか?「も」悪いという意見はそれこそ掃いて捨てるほど見たが。
中国の毒物食品に対する逆切れ外交があちこちでpgrされているわけだが
pgrするのは横においてちょっと彼の国の外交姿勢について考えてみよう。
この事例で判るのは、中国という国がいかに面子を大事にしているかということだ。
事の正否はともかく、公の場で糾弾される行為を非常に恥辱だと感じているわけだな。
こういう国と渡り合う時に正面切ってねじ伏せに行くのはよほど力の差が無いと無理だ。
職場のプライドばかり高い頑固爺に似ている。例え自分が間違っていることがわかっても
公の場でそれを認めることは絶対に無い。こういう人に閉口した経験は、少なからぬ増田が持っているだろう。
しかし一方でこの手の頑固爺を巧いこと転がせる人間も居る。
わが国の対中外交はそういう硬軟おりまぜた姿勢で臨むべきではないか。
表立った場で強気なスタンスをとりつつ、水面下で落としどころを見つけようとする現在の対中外交はむしろ逆効果を招いていないか。
今求められているのは相手の体面は立ててやりながら、決して譲らない粘り腰の外交と言える。
アメリカ議会に食い込んで日米の離間工作をしてるのは台湾有事への布石というだけなのか。
北京オリンピックが終わって中国のバブルが崩壊したときに、内圧に耐えうるだけの強度を中国共産党が持っているのか。
今の中国の屋台骨を支えているカネが無くなったら共産党の求心力は一気に低下するだろう。
政府に対する国民の突き上げを逸らすには、戦争が一番効果的だからだ。
さてわが日本としては中国人が何億人死のうと知ったことじゃないが、経済的な泥沼とそれに続く戦争に一緒に足を取られてgdgdになるという
シナリオは一番避けたい。
バブルで儲けた中国人の富裕層はカネ持ってどんどん外国に逃げ出すことは想像に難くない。当然日本にもその一部が入ってくるだろう。
(大方は欧米あたりに逃げると思うけど)そのときに一緒に黒社会勢力が流入することもおおいに考えられる。奴ら凶悪だから大変。
外来種に駆逐されないように日本ヤクザは奴らと頑張って殺しあってください。恐らく日本暴力団勢力図も大きく塗り換わることになると思うけど
一般市民の皆さんも今の比ではない抗争に巻き込まれるので大変しんどい。ひょっとすると街の一部はスラム化するかもしれない。埼玉とか注意。
まあだからあんまり甘っちょろいこと言ってないで、警察の皆さんがガンガン犯罪者を射殺できるように法整備のほうよろしくお願いします。
それまでに百人くらい日本人が死んでそう。
亡命中国人にはカネだけ落として死んでもらうのが一番ありがたいけどそうも行かないだろう。
そういうわけであと五、六年くらいで正直やってらんない時代が来ることになりそうなんで参院選はよろしくお願いします。
欲しい本があったので久しぶりに街へ出た。半分は適正があると言ってもやはり街は苦手だ。生まれついての本能の部分が人工の森を忌避したがる。いや、母親は気にもせず暮らしているのだから、人間としての思考がもう半分についての知識で勝手に作った勘違いなのかもしれないが。
それに何より目立つのが苦手だ。街に出るとじろじろ見られたり、時には、あからさまに侮蔑の目で見られたりする。やはり、四つ足が街に、人間の森にいるのは目立つ。
2本足で歩くことができる、より人間に近い者は街で暮らす。人間の名残で人工の森が落ち着くというのもあるが、一般的に四つ足の者よりも人間に近いので高度が情報処理が行える彼らは、機能を重視・集約したこの人工の森で働き、そして棲む。
私も2本足で歩くこともできなくはないが、私の場合は骨の構造からして無理があるので1分と持たない。前足用の靴を履いてはいるが、4つ足という見た目からして目立つのは仕方がないのだろう。
本屋に着く。目的の本があるのは5階だが、階段で行く。4つ足がある程度いる街の場合はエレベーターのボタンは鼻で押す。押す鼻がない場合は前足で押す。主に前足にも靴を履いてる場合が多いからだ。それよりも4つ足が多い、言い方は悪いがスラムのような街では、皆、前足で押す。靴など履いていないし、それに小さな汚れのことなんか気にしない者が多いからだ。そういった風に四つ足がいる街では、ある程度のしきたりのようなものがあるのだが、この街のように四つ足がほとんどいない街ではそれがトラブルの種となる。前足で押せば靴で押すなんてということになり、鼻で押せば鼻で押すなんてということになる。2つ足の者は手の指で押すからだ。いらぬトラブルは避けるに超したことがないので、階段を使う。四つ足なので2つ足と比べれば断然楽ではあるのだが。
5階につくと「よお、来たか。」と、薄い体毛に覆われた手を挙げられ、声をかけられる。古くからの知り合いで、今日私が欲しい本が入荷したと教えてくれたのも彼だ。彼は大型犬のクォータなので薄く白い体毛に覆われ、耳の位置も高いところにあり、鼻も少し大きいが、離れてみたら人間と変わらぬ程度の外見である。
「
第2回目。
1回目見たかった。。
やんぱちで、第2回目の備忘録未満をのっけてみた
・中間層が熱い 消費を楽しむ層が驚異的に増えている。
・巨大ショッピングモールに連日人集合
大型スーパーマーケットチェーン
→何でもあるらしい
→21世紀の予測
→その中でインドが熱い。6%(だったかな)ずつの成長
→2032年に日本を越える?
→2050年には世界3位?
→当初レポートに対して懐疑的、楽観的だったが、
・昔は大富豪か貧困層
→その隙間の中間層が増加
→90年代から
→アメリカから受注増加
→成長
・地方にも広まりつつある中間層
→清潔感を出せば中間層がくるはず
→最優先でごみをすてろー
→衣料品あえて、中間層向けの高級品を扱う
→食料品は品質重視
→レトルト大人気 共働きが増えたから(地方でも同じはずかと予測)
→初日は2万人(?)来場
→ネットに様子を流す
・家電製品
→現在韓国が占め気味。特にLG電子 家電といえばLG電子みたいな
→地域によって気候が変わったり、、高性能をウリに日立が頑張り中
→家電量販店の登場のため、うまく高性能をアピールできず苦戦中
→性能+美で勝負にする
・求める価値観が変わりつつある。
→ワインくらい飲ませろよー
→この流れを懸念する声も
→ガンジーの考えを今一度
→一人一人の収入は少ないが、人数は多い。
貧困層から抜け出そうとしている人も大勢。そこを狙う。
・貧困層から這い上がるのは不可能と思われていた
→成長の可能性がでてきた
→スラムをも巻き込んだ波がきてるらしい。
「不都合な真実」という、地球温暖化を描いたドキュメンタリー映画が大変アメリカでウケているそうです。アカデミー賞にもノミネートされ、日本でももう公開中なのですね。
そこで「環境危機をあおってはいけない」で地球温暖化なんて重要じゃないと言っていたビョルン・ロンボルグがこの映画をどう言っているのか気になったので、ちょっと調べてみました。無断翻訳なので匿名ダイアリーに投げてみます。
http://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,,1810738,00.html
500億ドルあれば、私たちは地球をもっと良い場所に出来るでしょう。でも地球温暖化対策に使うのはおそらく無駄です。
ある街に1000万ポンドの余分なお金があって、なにか良い目的に使おうと考えていたとします。十のグループが援助を求めてきました。最初のグループはスラム地区の学校のために新しいコンピュータを買うべきだと言っています。次のグループは公園の美化を求めています。それぞれが、達成することでどのような価値が生まれるか、説得力のある案を提案してきました。街の議員たちはどうすべきでしょうか?お金を十に分割して配分するのが一番簡単な答えに思われるかもしれません。しかし、この答えは間違っています。
どのような時でも、幾つかの提案は他の提案より良いものであるはずです。どの提案が最も社会的な価値を生み出すか私達が知っていたならば、それらにお金を回すのが妥当でしょう。
より大きな視点では、各国の政府と国連が莫大な、とは言え限りのある予算を用いて、地球上の問題を減らそうと考えています。一方で彼らはメディアのうつろ気な注意に引き付けられてしまって、間違ったお金の配分を行う傾向にあります。HIV・エイズ、マラリアや栄養不良との戦いに費やされるのは少しだけ。不正や闘争の政治的解決により多くのものが費やされています。残りのお金は地球温暖化を抑え、鳥インフルエンザ対策に取っておかれます。
政治家がみんなに何かを与えられるなら誰も文句は言いません。しかし余分なお金のあった街の例のように、政府や国連にも、どのようにお金を援助するか明確に定めた合理的な枠組みがあった方が良いでしょう。政策立案者にとって、援助候補の並んだリストはレストランの巨大なメニューに似ています。しかし、それは価格や量が書かれていないメニューなのです。
現在、政府が地球温暖化との戦いに加るべきだという、かなりの勢いがあります。元アメリカ副大統領のアル・ゴアは映画製作者に転身し「不都合な真実」というタイトルの映画を作っています。
しかし本当に「不都合な真実」なのは、2004年にデンマークで経済学者たちが示したデモンストレーションです。このデモでは、京都議定書に従った地球温暖化との戦いは、費やすお金ほどの社会的価値を生み出さないことが示されました。四人のノーベル賞受賞者を含むこの経済学者たちはコペンハーゲン・コンセンサスと呼ばれるプロジェクトに参加しています。人類が表面している複数の問題について、解決策の社会的価値を比較するという試みです。そして彼らが答えようとした疑問は「500億円の使い道で、一番世の中を良くする見込みがあるのはなんだろうか?」です。
HIV・エイズ、飢餓、世界紛争、地球温暖化、政治的不正、その他の問題への挑戦について、様々な方法でコストと価値が検討されました。そして特別に任命した研究により、どうすれば政策立案者が一番世の中を良くする見込みがあるかを示した、優先順位付けされた援助先のリスト、「なすべきことリスト」が作成されました。
この結果、経済学者たちは、270億ドルをHIV・エイズ予防に費やすことが、人類にとって最も見込みのある援助であると分かりました。6年で2800万人以上の命を救い、生産力向上を含む巨大な効果を生むでしょう。
微量栄養素を多く含んだ栄養補助食品を提供することが二番目の優先順位になりました。地球上の半分以上の人間が鉄、ヨウ素、亜鉛、ビタミンAの欠乏に苦しんでいます。栄養剤のような安価な解決策は費用対効果がとても高いのです。
三番目は貿易の自由化でした。政治的には難しい決定を必要とするでしょうが、これは著しく小さなコストで世界中、特に発展途上国に、価値を生み出すでしょう。自由貿易により毎年2兆4000億ドルという驚異的なGDPの増加が、先進国においても発展途上国においても等しく生じるはずです。
経済学者たちは次に、化学的に処理された蚊帳でマラリアを防ぐことが巨大な価値を生み出すと見込みました。それからリストに並ぶのは、世界で最も貧困にあえぐ10億人のための農業の研究、公衆衛生の向上、水質管理です。これらへの援助から得られる価値はコストをはるかに上回ります。
HIV・エイズ予防については、費やした1ドルあたり、40ドルの価値が生まれるでしょう。言い換えれば、コンドーム1ドル分は、エイズが蔓延したコミュニティにおいては40ドルの価値になるはずです。
みなさんは、それではなぜ、そうしたコミュニティの人間が自分たちでお金を費やさないのか、と尋ねるかもしれません。答えは通常、そうしたお金がより裕福な国や国連など、他の場所にあるからです。リスクに関する情報を得るのはなかなか難しいのです。また、HIV・エイズの影響は遠くまで広がります。今日の一つの感染が、将来より多くの感染を引き起こし、たくさんの家族やコミュニティを壊滅させるでしょう。しかしながら、先に示した個々の援助案については、こうした将来のコストをほとんど考慮に入れていません。
経済学者たちは京都議定書の実行や、二酸化炭素排出への課税を含む、地球温暖化対策に関する提案についても調査しました。結果は全て悪いものでした。世界の限りある資源を地球温暖化との戦いに費して成功するためには、得られる価値よりも多くのコストを支払うことになるでしょう。そのお金は他のところで使うべきです。
以上がコペンハーゲン・コンセンサスで経済学者たちが「世界が今なすべきことリスト」から抜本的な地球温暖化を外した理由です。
この経済学者たちによって生まれた優先順位付けを、学術的な運動以上のものにしなければなりません。地球上の問題を減らすための決定が高い透明性と合法性を持つためには、政治的運動にならなければなりません。
先月、ジョージタウン大学に、著名な国連大使のグループが彼ら自身の「なすべきことリスト」を考えるために集められました。アメリカ、中国、インド、パキスタンを含む、人類のおよそ半分を代表する国の人達がいました。
彼らはどういう選択だったのでしょう?驚くべきことに、それはコペンハーゲン・コンセンサスで経済学者たちが選んだものと似ていました。彼らは健康、水、教育、飢餓に関する問題への援助に世界が最も優先付けを行うべきだと同意しました。また、おそらくはさらに勇敢なことですが、一番に持ってくるべきではないものについても述べました。そこには金融不安への解決と地球温暖化対策が挙がっていました。
世界の意思決定者のために、地球上の問題に優先付けを行うという概念を議題にしたことは、このプロジェクトにとって重要なステップでした。彼らは運動をさらに先へと進めようとしており、秋にニューヨークで行われる同様の運動では、40人か50人の国連大使が参加するよう望んでいます。しかし結局のところ、優先順位はノーベル賞受賞の経済学者が決めるものでも、国連大使が決めるものでおまりません。社会的な討論と、民主的な決定によるものなのです。
様々な援助を求める声が絶えず増え続け、政治家と有権者がそうした競争に直面する世界において、コペンハーゲン・コンセンサスのプロセスは、ただ声の大きい提案者の援助ではなく、最も価値を生み出す援助へと意思決定者の目が移るよう、助けることが出来ます。
このようになにかを決定するための信念を持った枠組みを提供することは、結局のところ世界の限られた資源をほとんど人類のために費やすことになるかもしれません。この選択肢は無視し難いでしょう。