遥か昔、インターネットで、トイレを流さない子供にその理由を聞いたら、「どうして流れないの?」と返されたみたいな話を見た。
https://dot.asahi.com/articles/-/94810?page=3
どうしてこの話がずっと記憶に残っているかと言うと、イラッとしたから。
流れないなら流せよ。必要を感じたなら、疑問に思ったなら、やり方を聞けよ。
要するに、流し方がわからないのではなく、自動的に流れないなら流す必要がないと考えているのだ。
週末、田舎を旅していて、ことごとくウォッシュレットがなかった。
個人的にはウォッシュレットがないとお尻が死んでしまうのだが、ないものはしょうがない。頑張ってお尻を拭いた。
ふと思ったのだが、もしずっとウォッシュレットで生まれ育った子供が、こういうトイレに直面したらどうするのだろう。
「水が出ないから拭かない」となりそうな気がする。だって、自動で流れないのなら流さないのだから。
何故流すのか、何故拭くのか。そこに着眼点を置いていない。ただのルーチンでしかない。だから、出来なければ飛ばす。