最近「広告をブロックしないでください」というWebメディアのお知らせを見かける。
はてブでもたまに話題になり、「ブロックしたくなる広告をそのままにしているメディアが悪い」「広告ブロックするやつは対価を払わない人でなし」などと議論が起きる。
個人的にはどちらも一理あるように思う。
少なくとも情報の対価として広告をみてほしい、というお願いは悪ではないだろう。
同時に、見たくないものを見せられたくない、という願望も悪ではないだろう。
ただどちらも程度問題だと思う。
例えば「30秒のニュースを見るために5分の広告を見て欲しい」は(実際の金勘定は知らないが)感覚としては釣り合わない。エロやグロのような不快広告ならなおさらだ。
例えば「広告であるなしに関わらず視界に欲しい情報以外一切の不純物を入れたくない」なら無茶言うなと思う。何人、何百人、何万人が見るかわからないWeb媒体で個人の要望を完璧に汲めるわけがない。関連記事のリンクとかAmazonへのリンクとかはいらない人も必要とする人もいるはずだ。
で、結局どうすればいいのだろう。
俺はわからないので、とりあえず広告が不快なページは見ないようにしている。
対価は払わないし情報もいらない、という態度だ。
それでも案外困らない。世の中は十分情報に溢れている。
困らないけど、あれも見ないこれも見ないと切り捨てる形になるので若干寂しい。
結局のところ、わからない…