2024-05-28

壁と卵の話

>> もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます <<

昔、村上春樹スピーチを素晴らしいと思った。

私も常に卵の側に付こうと決意した。

私はタフな人間なのでそれができると思ったのだ。

ただし いま30年ちょっと生きてきて

卵もずるいよなあ って思う時も正直ある。

タフで無神経な壁の私が卵を割ってしまう。

だって常に割れしまう卵の側に立ちたいが

どこかで 自衛してくれよ 自分でなんとかしてくれよ と思ってしま自分がいる。

いつも人に優しくありたいし、システマチック判断はしない、人の柔らかいところが好きだから感情的機微理解してるつもりだ。

でも自分はいろんな意味で強くて率直で、本当に繊細な人の気持ち理解できない。友達には、あなたは強いから弱い人の気持ちはわからないと言われた。繊細な人にとっては私の強さが時折に無神経さに写り、その人を傷つけるときがあるんだろう。

そういうことが起こる時、もちろん周りから責められることはないし、私も卵を守るためにある種の不利益すら被ってもなお平気、と思ってはいる。だから多少の不利益を年単位で実際に被り続けたこともある。それで体調を崩したこともある。(そのあとはもう辞めようと思った)

で、この自分の信念めいた考えを、後悔することもなけれは、受け入れて生きているんだが、でも、それでもふとした時、ずるいよねえ 柔らかく繊細なままで、守られて、ずるいねえって、意地悪なことが頭をかすめるときも、ある。

  • 自分より硬い壁探して自分も卵側になればええんやで で、自分にぶつかって割れた弱い卵に対して「ワイも卵なんや自分だけが卵やって思い込むな」と言う

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