2024-02-26

井原西鶴文学フランス書院文学ではないという違いのわからなさ

百科事典井原西鶴作品解決を見ると、封建制に対する人間性回復を主張した文学だみたいにもっともらしく書いてあるけどさ。

封建制はともかく「人間性回復」だから文学っていうならフランス書院だってジュブナイルポルノ(ノクターンとか)だって別に文学でよくね?

ようはエロいこと書きゃ全部野生への回帰であり人間性回復っていえるでしょ。そこにいえるとかいえないとかいうのは恣意的で、自分のひいきするジャンルの箔を上げたりするための策略としか思えない。

俺はむしろ自分が娯楽に読んでるエロの箔ををあげたいとか思ってなくて、そんなのは性欲ドリブンでしかないのわかってるわけで、むしろ今まで文学扱いされてるのに対して「そんな箔つける必要ある?」ともっと整理した方がいいんじゃないのかなと思える。

ひと、いやふた昔前の「思想家なる」学力的な意味での賢い人間やその言が偉く権威のある主張とされてた構造と近いものを感じるよ。勉強した人の言の「勉強した事実」だけで箔をつけるのやめてほしいわ。

  • 辞書的にはあらゆる小説は文学だよ。 「○○は文学ではない」と言っている人がいたら なにか独自定義している人だと思われるので詳しく聞かないとね。

    • 文学って名称いい加減改めた方がいいじゃねとは思える。どうしたって「学」の字のせいで何か高尚さがなければその定義を満たさないかのような思い込みがつきまとう。 だいたいなん...

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