ガチ老人になればかなりの確率で価値観のアップデートについていけなくなることは(好むと好まざるとに関わらず)生じるよね。
で、その老人の「現在の言動」を批判するのは問題ないとは思う。(今の批判側の人たちもいずれ批判される側になると思うけど。ガチ老化を甘くみないほうがよいよ)
だけどさー、その老人作家の「過去作」までついでに否定するのはおかしいよね?
現在その老人作家が価値観のアップデートをできてないことに、過去作は何の責任があるわけ?
「過去作も現在に連なる搾取構造の中で生み出されたからだ」とか言うかもしれないけど、それだったら現在の老人作家の認識とは関係なく(たとえその老人作家が反省していたとしても)、「搾取構造の中で生み出された」という事実をもってNGという話だよね?
もしそうなら(たとえば)松尾氏だって「現在に連なる搾取構造の中で金儲けしていた」のだから、「現在の態度」は肯定的に評価されるにしても、松尾氏の「過去作」は同様に否定的な評価(「あいつの過去作はもう聴く気にならない」とか)をされるべきだと思うんだけど。