最近、ファンタジー世界系の物語が多いのは、リアル世界を描くと、表現規制の対象になりやすいからだと思ったりする。
今は、現実のとある一面を描いただけなのに、それが誰かを傷つける「可能性」がある、とかいった難癖で、物語が差し止められる可能性があるのだ。
だから、物語はリアル世界の諸問題を扱わず、ファンタジー世界をベースとするようになりつつある。
ファンタジー世界であれば、「これはファンタジー世界の話なんです」と言い訳が立つし、リアル世界の誰それと重なることもなくなるからだ。
ファンタジー世界ベースとなったことで、若者が抱える、思春期なら思春期なりのリアルな諸問題にアプローチしにくくなってしまったからだ。
物語には人々の抱える問題に寄り添い、何らかの希望や慰めを与えてきたはずなのに、今はそれが難しくなってしまった。
物語が、若者の抱える問題に寄り添えなくなってしまっていたのだとしたら、それは結局、表現規制にたどり着くのだろう。
私達は若者たちを思って表現規制に賛成したりするが、その結果、物語が若者たちに寄り添うものではなくなり、
物語の持つある種の治癒力みたいなものを奪ってしまっていることは反省すべきように思う。
表現規制は必要に応じて行うべきものだとは思っているが、一方で、物語による若者への効果(治癒力)みたいなものも忘れないようにしたいと思う。