演技とは「らしさ」であるとも言える。
「らしさ」とは、そのシチュエーションにいるそのような人物は、そのように動き、話すだろうという、私たちが共有している思い込み、ということになるだろうか。要はテンプレートである。
テンプレ演技を難なくこなされれば、きっと見たときに違和感はない。それらしく見える。この時点で演者は「演技がうまい」と思われるかもしれない。
しかし、演技のリアリティという部分を考えていくと、教室で実際に過ごす高校生のように、「らしさ」に回収されない言動や雰囲気に突き当たる。高校生らしさ、というのは共有している思い込みのうえのもので、実際には個々人の差異や、場が作る影響によってテンプレ通りにはならない。
個人的には、演じられる人物の背景や、その場の力学、作品としての統一感など、テンプレに収まらない範囲の情報を、こちらの想像を超えて落とし込まれた演技に「うまさ」を感じる。テンプレから離れ、その人の解釈が技術をもって実現されている状態。テンプレを越えて存在感がある状態。
最近、リアルな演技とはなにかについて、考えている。 きっかけはエロサイトで見つけた女優。最初のインタビューで「人妻です。亭主とはもう単なる家族で、セックスは燃えない...
演技とは「らしさ」であるとも言える。 「らしさ」とは、そのシチュエーションにいるそのような人物は、そのように動き、話すだろうという、私たちが共有している思い込み、という...