まあ絆っていう言葉自体が無いんだけど。
悪いことをしたから叱られたってだけで警察を呼んで親を逮捕させる子供とか見るとさ、特に思う。
で、叱った際にゲンコツでもした日にはDVとか言われちゃうってのが、もうね。
極端に親が手を出すのはだめだと思うんだけど、親が手を出さないで痛みを教えられるのかっていうと、
批判する人は全然解決策すら提案してこないってのが滑稽なんだよね。
正直な話、過度な行為と悪意が込められた行為以外で痛みを教えられない親は親じゃないと思うよ。
痛いってくらいは教えるのは親の務めだよ。
世間を見れば分かるじゃん。痛みを知らない馬鹿に限って問題を起こして、痛みの耐性を知らない傷つける怖さを知らない馬鹿が加減も知らずに暴力行為をして、そこに罪悪感すら抱かない。
もちろん何を教えても駄目な子ってのも居る。悪いことは駄目って教えても歯止めの効かない子供はいるし、そういう子は殺人すらなんとも思わない。
というか、そういう子は親という存在すら動く肉にしか見えてないんじゃないかなって思える。
まあ話は戻すけど、ちょっと叱られて気に入らないって程度で警察を呼ぶみたいな行為を働く子供もいるわけで、
そういう子っていうのは、もう親なんか親とも思ってないし、親子のつながりすら無いような感じなんだろうなと。
親も同様に子供を無碍に扱ったりする馬鹿者がいて、そういう家庭に生まれた子ほど気の毒だし、辛い思いをしたせいかマトモな大人になってる子が多い気がするね。
そしてそういう子に限って、辛い思いをしてるのに嫌だ辛いって口には出しても親子の絆を強く持ってたりするなって。
親子に限らず、絆が、自明のものとしてあったことはない。 それは努力して作るもの。 努力して作れば過去だろうと現代だろうとあるし 努力してない家庭にはいつの時代にもない。
努力して作ろうとしても作れないものもある。 それを努力すればなどという綺麗事で誤魔化すから余計に作れないんだろう。 そもそも努力して作るものではない。
そりゃ 努力してつくるべきものではないし 自分だけ努力すればできるものでもないよ。 でも現代でも普通に親子の絆はあるし それはそいつらが努力してつくったやつだ。 そ...
元増田と勘違いしてる? 絆を努力して作るってのをツッコんだだけだろ。 そういうのは自然と成り立つもんで努力するもんじゃねえって話しただけなのに噛みつかれても困るんだけど。