nftという技術デジタルコンテンツに活用され多額の取引が行われるようになっている。
nftは複製が容易なデジタルにおいて、そのオリジナル性を保証する、らしい。
いわゆる刀剣などにおける「折り紙付き」みたいなものだと思う。
だけどそういった今までの証書とnftとでは違いのほうが目立つ。
いままでのアナログな芸術品は、その贋作には完璧なコピーはありえないという前提があった。
贋作にはどこかしらオリジナルとの相違があると思っているからオリジナルが求められる。
そういうオリジナルのオリジナル性を保証するのが折り紙だったわけだ。
ただし別に折り紙そのもの価値があるわけではない。オリジナルの芸術的価値はその芸術品のなかで完結しているわけだ。
一方デジタルコンテンツにおいてオリジナル(最初に生まれたもの)とコピーで全く実在性は変わらない。
オリジナルもコピーも電子計算機においてそのデータを再生するうえでは視覚的差異や聴覚的差異などはない。
アナログにおける贋作だったら何かしら認識に訴える「本物との差異、粗」があるものだが、デジタルコンテンツにはそういうものがありえないのだ。
「nftでアウラの復活する」という主張もずれていると思う。鑑賞という観点で差異がないのだから。