文章には「目的」がある。目的が原稿料をもらうことで、それ以外には特に狙いなどがない文章もあるだろうけど、いったんそういう文章は置いておく。
手段の視点で考えると、書き手から読み手に対して「情報」あるいは「自分・他人の意見」を伝えるものにわかれる。
文章の目的を考えると、情報伝達つまり知ってもらうと言うことが主目的のものもあるし、読み手を説得あるいは何か行動を起こしたり行動を変えたりすることを目的とするものもある。
何について書いているのかはテーマだ。
テーマについてのその文章の目的や、伝えようとしていることを理解できたら、「読解できた」と言っていいのでは無いか。「読解力を上がった」といった場合、それまで理解できなかったことが理解できるようになった、文章の目的に沿った形でその伝えようとしている情報や意見を理解できるようになったら、上がったと言える。一言で言うと、書き手の目的や手段を理解できるようになるということだ。
では、読解できているかどうかはどうやって判断すればいいか。 その文章の目的や伝えようとしていることを理解できているか。それをどう判断すればいいか。「目的はこれ」と言えればいいのではないか。その文章で書き手が伝えようとしている、何を言おうとしているか、それについて説明できればいい。要するにその文章を要約できるなら、読解できている。つまり、文章を読んだときに、その文章が何を言おうとしているかを要約できるなら、読解できていると言える。
要約の訓練は読解力の向上の訓練となるだろうか。なるような気がする。少なくとも要約しようという気持ちを持って読むことを心がけていれば、その文が何を言わんとしているのか、それを読み取ろうという視点を持って読書ができるようになる気がする。