それは神であったり社会であったり科学であったりするが、個の合理を超えた存在を受け入れるポケットがヒト科ヒト属ヒトという動物には備わっている。それはアリやハチが持つポケットより柔軟でサイズが大きい。我々ヒト科ヒト属ヒトはそのポケットにモノが入ってないと本能レベルで不安になってしまうので、絶えず何かを詰め込んでおこうとする。
500年前の無神論者は現代の我々の常識に照らし合わせると、正しい世界観を持っていたと言えるだろうか。500年後の人間が今の我々を見たら、正しく世界を認識していると思うだろうか。顕微鏡もないのに世界を認識したつもりになるのが愚かなら、今の我々だって十分愚かだ。なるほど方法論が正しければ過程が間違っていてもいいというのも一理ある。だが真実にたどり着く保証はあるのだろうか。人類と地球にはそれだけのツールと時間が与えられているという保証はあるのだろうか。赤と青の絵の具しか持ってないのにひまわりの絵を描こうとしているのではないだろうか。我々はできることしかできない。だができる範囲が世界の全てではない。