もうジョージ・ミラーが生きてるうちに5は見られなさそうだよな、とか思うところはいろいろあるんだが
それより今気になってるのは、今後の世の中で男性監督や脚本家がポリコレ的に正しい女性を描くことは文化の盗用的な線から批判を浴びうるのかということだ
文化の盗用というよりは障碍者は障碍者が演じるべき論に近いか?
女性主人公の映画の興行成績が振るわない時、それの女性監督が、男性は女性が活躍するアクション映画を見に行かないと言ってたそうな(ソースは未確認)
しかしマッドマックス4は某氏も認めるポリコレ的に正しい自立した女性、および自立していく女性が描かれた映画だが、作品もキャラも大うけした