2020-06-09

一休くそとなれの意味がわからない

 まだ一休さんが小さい頃、はじめて修行をしていたお寺の和尚(おしょう→詳細)さんは、ひどいけちんぼうでした。

 おまけに、お寺では食べてはいけない塩ザケをみそ汁の中へにこんで、

「ああ、うまい、あったまるのう」

と、平気でたべているのです。

 とうぜん、一休さんには一度もわけてはくれません。

 しかも、塩ザケを食べるときの、和尚さんの言葉がとても気どっていました。

「これなる塩ザケよ、そなたは、かれ木とおなじ。たすけたいと思うても、切り身にされては、生きて海をおよぐことなどできぬ。よって、このわしに食べられ、やすかに極楽(ごくらく)へまいられよ」

「ふん、なにが極楽だ。バチあたりの和尚め」

と、一休さんも、はらいせにかげ口をたたいていましたが。

 さて、ある日のこと。

 朝のおつとめをすませると、一休さんさかな屋へ走っていって、大きなコイを一ぴき買ってきました。

 お寺へもどると、一休さんは、まな板とほうちょうを取り出して、なベをかまどにかけました。

 和尚さんはビックリして、

一休! おまえ、そのコイをどうするつもりぞ!」

はい。このコイを食べます。このあいだ、和尚さんに教わったお経をとなえますで、きいてください」

「おまえ、いったい正気か!」

はい正気でございますとも」

 一休さんは、すこしもあわてず、コイまな板へのせて、お経をとなえました。

「これなる生きゴイよ、そなたは、この一休に食べられて、くそとなれ、くそとなれ」

 となえおわると、右手に持ったほうちょうをストンとふりおろして、コイの頭を落としました。

 そしてさっさと切り身にすると、なベに放り込みます

「むむっ。・・・くそとなれ』か」

 和尚は、いままで塩ザケにむかって、「極楽へまいられよ」なんていったのが、はずかしくなりました。

くそとなれ、くそとなれ」と、いいはなった、小さい一休さんに、してやられたと思ったのでした。

(こいつはきっと、大物になるぞ。わしのところではなく、もっといい和尚のところにあずけるとするか)

「それでは、ちょうだいします」

 一休さんは、和尚さんの顔色などうかがうこともなく、コイこくをおいしそうにたべました。

なにこれ。正直だから何なの?

現代社会において目上が不正をしていることなんてよくある。

なぜ一休は怒られないの?

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