まだ一休さんが小さい頃、はじめて修行をしていたお寺の和尚(おしょう→詳細)さんは、ひどいけちんぼうでした。
おまけに、お寺では食べてはいけない塩ザケをみそ汁の中へにこんで、
と、平気でたべているのです。
とうぜん、一休さんには一度もわけてはくれません。
しかも、塩ザケを食べるときの、和尚さんの言葉がとても気どっていました。
「これなる塩ザケよ、そなたは、かれ木とおなじ。たすけたいと思うても、切り身にされては、生きて海をおよぐことなどできぬ。よって、このわしに食べられ、やすらかに極楽(ごくらく)へまいられよ」
さて、ある日のこと。
朝のおつとめをすませると、一休さんはさかな屋へ走っていって、大きなコイを一ぴき買ってきました。
お寺へもどると、一休さんは、まな板とほうちょうを取り出して、なベをかまどにかけました。
「はい。このコイを食べます。このあいだ、和尚さんに教わったお経をとなえますで、きいてください」
「おまえ、いったい正気か!」
一休さんは、すこしもあわてず、コイをまな板へのせて、お経をとなえました。
「これなる生きゴイよ、そなたは、この一休に食べられて、くそとなれ、くそとなれ」
となえおわると、右手に持ったほうちょうをストンとふりおろして、コイの頭を落としました。
そしてさっさと切り身にすると、なベに放り込みます。
和尚は、いままで塩ザケにむかって、「極楽へまいられよ」なんていったのが、はずかしくなりました。
「くそとなれ、くそとなれ」と、いいはなった、小さい一休さんに、してやられたと思ったのでした。
(こいつはきっと、大物になるぞ。わしのところではなく、もっといい和尚のところにあずけるとするか)
「それでは、ちょうだいします」
一休さんは、和尚さんの顔色などうかがうこともなく、コイこくをおいしそうにたべました。
なにこれ。正直だから何なの?
なぜ一休は怒られないの?
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