これまで相手に話が通じないとき、内容が伝わらないとき、伝わるまでどんなに時間がかかっても伝える、という手段を取ってきた。だって伝わらないというのとは、相手の中に「ない」のだ。だから心を砕いて、言葉を選んで、時間をかけて、真摯に対応してきた。会社でも、友人でも、恋人でも、知り合いでも。
特にADHDや人付き合いを避けてきた人には、当たり前の他人の心の機微などが伝わりづらい。これを空気読めなんて考えることは、傲慢だし同調圧力だし、そんなのは嫌だとおもっていた。
10年ほどそんな風にしてきただろうか。なぜか突然、疲れた。親でも恋人でもない相手に、なぜこんな心を砕いて接しているのだろう。考えないのか? 「ない」からわからない? 脳のつくりのせいで理解ができない? 人付き合いを避けてきたからことばの引き出しがない?
そんなことがなんの理由になる? だからどうしたっていうんだろう。
考えないのか? お前たちは。
死んでるのと同じじゃないか。