「その他の選択」というのを安易に求めて、それが往々にして弱い立場のやつの苦労とメンタルと死んだ魚の眼だからではないかと。
本来物サービスというのはQCD(品質、コスト、納期)のバランスで決める。
そして、そこそこ最近のフィクションだと2つの厳しい選択肢を求められて「他の選択肢を選ぶ!」というのが往々にしてある。
親を殺すか、妻を殺すか。とかみたいなね。推理系でそういう選択肢を求められて殺人して、主人公が「僕なら新しい選択肢を探すよ(にっこり)」みたいなね。
まあ、フィクションなのだから知的刺激を求めてるのだし、「その他の選択」が一番知的刺激を満たしてくれるからだろう。
だけど、現実は親も妻も殺さないというQを満たそうと思えば、コストか納期かを求めないとならない。
安易に現実世界に「その他の選択」を求めるのは止めにしませんか。あくまで一旦蹴りをつける。その上でCとDを工面して、次のサイクルにどういかすかだと思うの。
殺さなならんものは殺さなならんのだし、その上で次に活かす、そもそも、殺さない状況になりそうなら、先に手を打っておく。でしょう。
そんな選択を迫られずとも、とりあえずなんとなく弱者を殺しに来るのがジャップやぞ
まあ、それはある。 ただの弱者ならまだ逃げやすい。 足かせのある弱者は逃げられない。 一番楽に強者になれるのは「強者の中に入り込んで、強者の身内になること」やな。 もちろん...