「愛をあるだけ、すべて」というタイトルの大熊信のnoteを読んだが、虫酸が走った。
なにが愛だ。現実は愛ではどうにもならないんだよ。
理想を語るのは誰でもできる。綺麗事を語るのは誰でもできる。
この記事を女性が書いてたらまだ耐えられていた。産んでもない父親が愛を語っていたのが気持ち悪かった。
そして、自分の子どもが障がい者になってからでないと、障がい者自体を意識できない人間が多いことにも、絶望した。
大熊が障がい者を障害者と書いていることも笑った。よくそれで編集者やってんな。
理不尽な世界と分かっているのに、子どもをこの世に産み落とすことも意味がわからないし、この記事に感動している人間は24時間テレビを観て感動している人間と一緒だ。
他人である傍観者にとって、障がい者とその親の話は美談コンテンツ感動コンテンツらしい。お気楽でいいね。
Permalink | 記事への反応(1) | 21:32
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