これらのことを気にかけてる同世代に会ったことがない。勉強やスポーツが出来る同級生は流行りの曲やバズった何かの事しか話さない。こう言う話はコミュニケーションにおいては禁忌というふうに親からも学校からも教わった。
ネットに毒されたネトウヨの同級生はよく政治について熱く語っていたが、それは政治ではないように思う。ただ一人、高校の美術の先生は違っていた。他の人とは違うオーラがあった。それは秋山仁の様な外見からではなく、もっと奥底から滲みでる何かだった。モノの本質を大事にしていた。そして今こんな偏屈で頭のおかしい僕を作り出した張本人である。
今思えば美術の先生に会わなければ能天気な僕であり続け増田なんて魔境に通うこともなかったはずだ。
Permalink | 記事への反応(2) | 00:56
ツイートシェア
そして京都の立命君と運命の出会いへ