杉田水脈の論文が叩かれてて、タイトルに書いた杉田水脈の素朴な疑問に対して
「いや、そんなの違うに決まってんだろ」と一蹴してる人が多いけど、具体的にどう違うかの説明を読んだことが無い。
・論理的に同性愛と近親相姦等を区別しようとすると、行き着く先は杉田水脈の発想と同じにならざるを得ない
なぜなら論理的に区別することはできないから。従って、論理的には杉田水脈の疑問は正しいと認めるべき。
・そもそも同性愛を社会的に認めるべきなのは、論理的に正しいからではない
多くの人が、同性愛者の人達の立場や心情に共感し、それを認めないのはかわいそうだと感じ、
それを認めても弊害は大して無い、あるいは弊害を許容してでもやるべきだと"思う"からやるもの。
そしてそれこそが正しい。
・なぜなら、誰を助けるべきか、何を認めるべきかといった倫理は、我々が日常生活で感じている
「この人達はかわいそう、認めてあげるべき」という憐れみから個別的なものとして立ち上がってくるものだから。
社会における倫理や規律みたいなものは、これまでそうやって少しずつ拡大してきた(はず)。