「子供を育てている人間としては、子供が事件や事故に巻き込まれる、何らかの事情で命を落とす、障害が残るという可能性は、恐怖以外の何物でもない」のなら、田端氏の発言を擁護することはありえない。
子が死ぬことを恐れるなら、イジメや過労死によって子が死ぬことも恐れるべきであって、「しょうがないなー、と思うだけ」というのは無い。むろん、イジメや過労死によって子が死ぬことを避けようと最大限の努力してもなお、子が死ぬこともあるだろう。だからといって、イジメや過労死による死を避ける努力を放棄すべきではない。
「できるだけ子供が命を落とすリスクを減らすしかない」ともあるが、イジメや過労死で命を落とすリスクを減らそうとはしていない。その点が最大の矛盾である。イジメや過労死を自己責任だとみなす田端氏のような主張が容認されているようでは、いつまでたっても社会からイジメや過労死はなくならない。それとも「でも死ぬのはアホやで」というスタンスでいれば自殺が防げるとでも思っているのだろうか。そうした甘い考えはリスクになるので改めたほうがよろしかろう。
「リスクヘッジ」は、子供が死ぬリスクではなく、子供が一人も生き残らないリスクをヘッジしているだけだ。老後に子供が一人でも残ることを望むなら、第一子が死ぬ可能性を1%減らす努力をするよりも第二子、第三子を産んだほうがいい。何なら、第一子が死ぬ可能性が多少増えようとも第二子、第三子を産んだほうが、子供が一人も生き残らないリスクは低くなる。「子供が死ぬことは恐怖以外の何物でもない」という主張と真逆である。そうした考えが透けて見えるのが炎上している理由だ。