自分の全体重を乗せて相手に組み付く、この暴力以外の何物でもない行為に対して「悪質」という形容を装飾する意味があるのだろうか?
これが善良なるタックルなら分かるのだ。
たとえば、交通事故に合いそうな人間に組み付いて吹き飛ばしたのなら、それは善良なるタックルと呼べるだろう。
本来他人を痛めつけるだけの行為によって他人を救っているという極めて珍しいパターンのタックルを表現するために、善良という表現を用いて意味を限定するのなら理解できる。
それと比較する文脈においてもまた、悪質タックルなどという言い方は不要であり、普通のタックルという言い方で十分その悪質さは伝わる。
あえて通常のタックルより更に悪質なタックルだと言うのならば、最悪タックルや極悪タックルといった表現を使うべきだ。
悪質タックルは「小さい蟻」や「大きい巨人」といった表現と同一の物であり、文学的な意味合いや何らかの文脈をもたせて使うならともかく、ジャーナリズムの世界で使うような言葉ではない。