2018-05-24

19歳の僕を捨てた話

僕は1997年まれで今年で21歳になるんだけれども、僕の中には21歳で今を生きる自分と、違う道を辿ったのであろう19歳の自分がいる。

どうして19歳で年齢が止まっているのかというと、そちらのルートを選んだ自分はおそらく19歳から先に進めなくなっていた可能性があるからだ。

21歳になった自分は上手く生き抜いていると思う。18歳のあの時の選択が今に結びついていることな想像できなかった。

だけれども、別の道を辿った19歳の自分には敵わないと思うことがある。比較はできないし、理由もわからない。単なる直感だ。

別の道を辿った自分は、今の自分よりも大きな絶望を味わっていたんじゃないのかと思う時がある。数倍大きな絶望を。

だけれども、その分今よりかは少しばかり賢い奴になっていたんじゃないのかとも思う。

今21歳になって、生きるのが上手くなっただけで、僕という人間はあまり進歩がなかったような気がしている。ただ適応するのが上手くなっただけのように感じることがある。

やっと現実と向き合い始めた、といっても過言じゃない。泡のように造られたものを見てそれを全てと思い込んで生きてきたが、やっとその泡を割り始めることができたんじゃないかと時折考える。

そんなことに21歳になってやっと気づいた自分の頭の悪さには絶望するが、これから歩みを進める勇気が湧いてきていることも確かだ。

厳しい現実孤独失望の中で生まれ危機感エンジンがあると考えるようになった。学校で習うような知識ややる気をだすノウハウとは別次元のものだ。

そんなことを考えてから僕の中にいた19歳で止まってる自分を静かに捨てた。前を向いていくしかない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん