2018-05-03

他人への愚痴」を共有されるのがしんどい

4月から職場が変わった。仕事自体は不慣れなことによる大変さがあるが、それ自体は大したものではない。

それよりも辛く思うのは、新しい職場にいる中堅の先輩がたまに「他人への愚痴」を吐き、それを本人がいない所で別の誰かと共有することだ。

誰かが犯したミスを注意するのは良いが、本人がいなくなった所で、その「ダメだった所」を、別の仲の良い人たちと雑談して共有する。自分はその雑談に加わってはいないが、声を潜めている訳ではないので、普通に周りに聞こえてしまう。愚痴られているその人は自分にとっては日頃から世話になっている人であり、例えその人に非があったとしても、日頃世話になっている人が雑談の中で貶められているのは聞いていて気分が良いものではない。ましてや、本人にフィードバックされ得ない形でそれを共有することに何のメリットがあるのだろうか。

その先輩は仕事はできるが、好意的な人とそうでない人への態度が極端であるように思う。好意的でない人には素っ気ない態度で最低限の会話しかしない(会話をするのはだいたい何かを注意する時なので、注意された側は怒られているか責められているように感じる)。ゆえに、周りの人たちはその先輩から悪く思われないように、合わせるような会話をしたり同調するような態度をとったりする。

人間同調力は怖いもので、先入観がなかったものに対してネガティブなことを吹き込まれると、どうしてもネガティブな印象を持ってしまう。他人への愚痴しかも影響力が強い人物からのものとあれば、そのネガティブな印象は広まっていく。貶められている人に味方をすると貶めている人の心象を悪くしかねないので、表向きでは同調を装うが、そのうちその装い染み付いてしまう。

自分がいない時にも何か自分についての愚痴を共有されているかもしれない。そう思うと仕事をしていて辛くなってくる。

社会人にもなってこんな「いじめ」の構造に近い状況に遭遇するとは思わなかった。

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