私は彼女の特別な何かになりたかった。それは恋人でも特別な友人でも何でも良かった。もっと言えば、誰かの"何か"になりたかったんだと思う。誰かにとっての何か特別な存在、それはなろうとしてなれるものなのか?最近見た映画で、母であろうとする者と息子であろうとするものの関係が描かれていた。私にはその関りがひどく歪で不自然なもののように感じられた。今回の私もそうだったのかもしれない。私は彼女の特別な友人であろうとし続けた。そこに拘ってしまった。それは私と彼女の関係を一方的に定義づけることでもあった。だからこそ、その特別な友人として想定していた関係を彼女がいずれ必要としなくなることがわかり、自分の存在が脅かされると感じて動揺してしまった。彼女は初めから私個人と関わってくれていたはずなのに、私も最初そうしたいと思っていたはずなのに、いつの間にか彼女の特別な友人であることに固執するようになってしまい、その結果自ら求めていた関係性を放棄してしまっていた。
彼女の特別な何かであろうとするならもうそれは叶うことはなく、そのような関わり方は彼女に対してとても失礼で、自分にも救いがなくて、そもそも今後成立することはないだろう。今後も彼女と関わっていきたいと考えるなら、そこに自分の存在価値を求めるような依存的な関わり方ではなく、個人と個人の対等な関り方が求められる。そしてそれは私が当初望んでいたものでもあったはずだ。自分を見失って随分遠回りをしてしまったけれど、やっと私は彼女と対等な関係を始めることができる。私の中の弱い自分がその新しいスタートを泣きじゃくりながら止めたがっているが、その弱い自分を心の中に置き去りにして強さを求める自分は歩きだそう。今はまだ自分のその弱さを受け止めることができないけれど、いつか、強くなった私が弱い自分も受け入れてその上で前へ進めるように、弱いままでもいいから今は一歩でも前へ進んでいきたい。