しかし、スクープされた側は社会的に大打撃を受ける。その部分を報じる側はどう考えているのか。
新谷氏は「報じられた側の気持ち」に想像が及ばなくなったら、この仕事をやる資格はないと述べる。「この記事に大義はあるか」「弱い者いじめになってないか」を常に考え、報道に際してはさまざまな配慮も行なっているという
はに丸「(週刊文春の)伝える意義って何? 芸能スキャンダルとか色々ある」
記者「なんだろうなあ、これは公共性ってことになるんだろうけれど、やっぱりその、伝える意義があるというのは、なんだろうな、難しいね、ちょっと待ってね」
はに丸「でも書かれちゃうじゃない。プライバシーに触れられたら人生が変わっちゃうことあるじゃん」
記者「そうだね。それはもともと、そういう風になれば良いと考えてるわけじゃないんです。人間ってさ立派な部分だけ知りたいわけじゃないじゃない。そういう話って、みんな知りたいんですよ。知りたい人たちの期待に応えるのが僕らの仕事でもある」
😏❔
こいつらが唱える「大義」とは……?