相手の気持ちを考えるとき、自分が相手の立場になって考える。それが思いやりである、と教えられる。
つまりどれだけ相手という存在に近づけるか、相手になれるかということが重要である。
ところが、人は自分以外の人間にはなれないので、相手がどんな人なのかを自分で考えなければならない。
生まれた環境、性格、性別等、相手と同じところがあるほど気持ちがわかりやすい。
そう考えると、男性が女性を本当に思いやれるようになるためには女性になればよいのではないか。
いわゆるオカマになれば良いのかもしれない。でも女性は果たしてオカマのことを女性だと思っているのか。
オカマという枠にジャンル分けされて女性とは別の存在だと女性は思っているのだろうか。
もしそうだとしたら男は永遠に女にはなれないのか。
そもそも思考をつかさどる脳自体に男女差があるといわれている。
ともすれば男が女について本当に分かってあげられていることは人間であるということだけかもしれない。
性別という分岐の先がどうなっているのかは男女お互いに本当にはわかっていないのではないか。
みたいなことを人生ではじめて、ある一人の女性に好意を抱き始めたことで考えるようになった。
我ながらきもい