一部の肉用品種を除き、乳用牛・肉用牛の繁殖はすべて人工授精で行われている。
乳用種など、飼い方によってはほんとうに幼い、乳飲み子のときは雌も雄も一緒に育てられるが、離乳(親から離れることではない。生まれてすぐに乳用牛は親と子を引き離す。ここでいう離乳はミルクから草・濃厚飼料に餌を移行すること)してからは完全に別。乳牛、繁殖用牛への道を歩み始めた雌牛たちが雄牛に会うことは2度とない。
そんな中で彼女たちは性成熟を迎え、人工授精によって命を授かる。出産を経ることで、雌牛たちはミルクを生産できるようになる。
しかし、雄を知らず懐胎って、つまり雌牛は聖母なのではないか。
人間によって、牛は神聖な生き物にされてしまった。と、わたしは思っている。
追記
神聖な生き物にされてしまった、とは神聖視されるようになったという宗教的な意味とは違う。たぶんガチで牛を神聖視している地域の牛は自然交配が多いし、人工授精の技術なんかができる前から神聖だった。
今回わたしが指しているのは、人工授精技術によって産業動物としての牛に聖性が備わってしまった、というちょっと皮肉っぽい意味なんだけどもううまく説明できないやわかんない!!!