祖母が亡くなったと父親から連絡があった。明日、納棺するから地元へかえってこいと。
祖父が癌で入院し、お見舞いに行って、弱った祖父を見てトイレで号泣してしまったのは浪人時代、19の夏だった。それから祖父は半年で息を引き取った。お正月だった。死に目には間に合わず、祖父の納棺に立ち会った後、なんとなく無性に歩きたくなり、病院から明治神宮まで、SuperFurryAnimalsのIt's not the end of the world?を聞きながら歩いた。身近な人の死と向き合ったのは初めてで、混乱していたけど、これは世界の終わりではなくて、自分の人生は続くということを思っていたのを覚えている。
それから16年後。祖母の死に際した自分はどうだろう。思った以上に冷静だ。それは数々の死に向き合った事による成長なのか、長らく入院していて心の準備が出来ていたのか、それとも、結婚して家庭を持ち、一端のサラリーマンとして10年以上働いて色々な事に鈍感になったのだろうか。
昔ほど音楽を聞かなくなった僕は、今聞くべき音楽が何かわからない。明日の電車を検索して、明日に備える事は出来るようになった。
それが何の意味があるかわからないけど、世間体を整えることが出来るようになった自分のことを祖母はどう思うのだろう。そんな事を思いながら日々を過ごすのが生きるということなのだろうか。