感謝したり、褒めたりすること。
「ありがとう」「すごい、さすがだね」とか、口にして相手に伝えること。
いわゆる耳障りの良い、相手が喜ぶであろう、そんな言葉を伝えること。
もちろん悪いことだとは言わないのだけど、昨今の優しい時代を背景に、より「過剰に伝える」のがトレンドになっているような気がする。
場合によっては(そうは思ってなくても、それほど強く思ってなくても)とりあえず3割増しくらいで褒めておけ、感謝しておけ、的な空気がある、ような気がする。
自分はあまり褒めない両親のもとで育った影響か、強い謝意や褒めそやしは、どうしても鼻白む。
照れとかでなく、しらけるのだ。もっといえばバカにされているような気さえする。
もちろんこれは「評価」とは別物だ。
多くのひとは、何かの一部(家族とか生徒とか社員とか)として生きていて、その中で果たすべき役割を(人から求められたり、自分が決めたりして)持っている。
私も評価されるのは好きだ。自分がなにかしら機能している実感が持てるから。
一方、過剰な感謝や賛辞は、する側の絶対評価であるから、何かを推し推し量る材料にはならない。
同じ言動をしても、褒めたり感謝したりするひとがいる一方、それに値しないと(なんとも)思わない人もいる。
また、大してなんとも思ってなくても、数割増しで感謝とか賛辞を伝えてくる人もいる。
そんな毒にも薬にもならないような相手の言動(自分に耳障りの良い言葉を伝えてくれた事実)に、いちいち気を使って振る舞わなければいけないのが、心から面倒くさい。
ありがとうって、有ることが難しいって書いて「有難う」なんだから、これ以上価値を下げなくてもいいんじゃないかなあと思いつつ、世の中が豊かになって余裕ができた証かも、とも思っている。
自分を肯定できるようになったら 賛辞も素直に受け取れるようになる