原初、泥と肉の境目が曖昧だった頃、本能の頂きをほんの少しだけ超える理性を備えた者だけが気づく、圧倒的な無法。
犯し、殺し、奪うことが他者との接点でしかない者たちに抱く恐怖に怯えながら、その恐怖に抗うかのように考える、何故殺し合うのか。
気づいた者から群れを離れていった。最小の人数で分離し新たな集団に。
自分たちに好ましい動物だけを繰り返し育てることで従来の食料を仲間として使役できるようになり、少人数さによる部族の脆弱性をフォローする武力とした。
しかしながら、そのような関係性は親密度を上げ、より強い悲しみを引き起こす。
小さな子供では耐えられない程のその悲しみを前にした時、親は子を諭すように言う。それでも私達は生きていなかければならない。
自分たちが生き延びるためにこれまで生死を共にしてきたパートナーを、自分たちが生きるために殺し、食う。
なんのために、そんな権利があってと考えると、死ぬしかなくなる。好きだったのに。
ただ、私たちには他に方法がない。しかし心配しなくていい、私の父が生きていたならば許してくれるだろう。
これは仕方のないことなのだ。悲しみとして感じる思いは罪悪感ではなく、愛情というものだと。
父ならば言うだろう。そのように許してくれる、父に感謝しような。