キリンジのあの曲はこの社会に馴染めないはみ出し者をエイリアン、つまり外国人と呼び、その境地にいる二人が慰め合う様を歌ったものだと思っていた。
しかし「まるで僕らはエイリアンズ」といっていることからこのエイリアンというワードは、あたかもこの社会の者でないかのように、という意味の比喩表現であって、よってこの曲にでてくる二人は実のところ社会に適応しているとうかがいしれる。
まあ「月の裏を夢見て」というメルヘンチックなノスタルジーをちらつかせるあたり、エイリアンというのはシンプルに宇宙人のことで、それは恋人たちの戯れのやりとりから生まれたくだらないジョークなのかもしれない。
それはそうとLINE MOBILEで神妙な顔を画面越しに見せるのんはマスコミの世界から存在をかき消されかけたにも関わらず、今もなお確かに私たちに向かってその凜とした顔を見せつけている。
危うく儚げな一面と、この地に確実に足を突き立てているであろうたくましい一面がない交ぜになり共存しているのんの摩訶不思議な魅力はエイリアンと呼ぶのが言い当て妙かもしれない。