なにをするにもリスクとリターンがつきものなのだと考えている。
例えば匿名ダイアリーにこんなことを書くことのリスクは明日仕事なのに睡眠時間が削れること、リターンは自分の心の欲求が満たせること。
コンビニの買い物もそう。徒歩1分のコンビニに151円の500mlのジュースを買いに行くか、徒歩1分半の自販機に500mlの150円のジュースを買いに行くか、徒歩2分半のスーパーに500mlの120円のジュースを買いに行くか。
人付き合いをしているとふと思う。この人は今、なにをリスクと見なし、なにをリターンと見なし、どちらを選んだか。
私はこう言った。
同窓会で酒を飲みに行こう。店はこの店にしよう。会計1人5000円ぐらいで当日集めるね。
すると彼は言う。
高いからやめとくわ。俺抜きで行ってくれ。
と。
5000円は決して安くない。20代の一般的なサラリーマンにしては数日分の生活費になるだろう。
それはわかっている。
では彼はなにを選んだのか。私たちとの時間より、お金を取ったのだ。
それを批判するつもりもない。怒るつもりもない。
ただ、私たちとの同窓会に5000円の価値を感じなかったのだろう。
私たちとの関係というリスクを取り、5000円節約というリターンを得た。
そのリターンを得るために釣り合ったリスクだろうか。私はそうは思えない。だが彼はそう思ったのだろう。
その程度の価値だと思われていたということが悲しい。
これを読んだ人はすこし考えてみてはどうだろうか。
ふとなにげないことのリスクとリターンを。
なにを失い、なにを得ているのかを。
金以外にもリターンが考えられないだろうか ・飲み会には参加しない主義(こだわりを貫く自己満足) ・ただ何となく(気まぐれの自己満足) ・疲れる(休息) これらを総合したリタ...