そもそもあるものが別のものの「役に立つ」とはどういうことだろうか?
それに答えるのは簡単ではないが、一つの明らかな必要条件として、その二つのものが何らかの関係ないし繋がりを持つということが言えるであろう。
一般的に言って、多くのものとの繋がりを持つものはそれぞれの繋がりの強さが小さく、ごく少数のものと繋がりを持つものはそれぞれの繋がりの強さが大きくなる。
では、学校の勉強は多くのものと繋がりをもつだろうか、あるいは少数のものと繋がりをもつだろうか?
これは必然的に多くのものと繋がりをもつであろう。特に義務教育ではなおさらだ。なぜなら凡そすべての子供に同じ教育を施すという性質上、将来における子供それぞれの世界との関係に依存しないような教育内容が求められるからである。
すると、学校の勉強というのは関係するものそれぞれとの繋がりの強さが小さく、それゆえそれぞれのものにとって「役に立たない」という結論が得られることになる。
しかし、これにより真に学校の勉強が役に立たないと見なしてしまうのは誤りであろう。個々の具体的な事柄との関係というよりはむしろ、多くのものと関係するジェネリックさが強調されるべきなのである。
完全にその生徒の資質の問題。 同じ教科書同じ授業でも参考書をやらないと試験問題が解けない子と授業後に発展問題が解ける子が居る。 武道の方稽古とかもそんな感じなんだろうな。...
論旨が雑過ぎ。 やりなおし。