真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
田舎にいると猪が猟師に鍋にされるので、都会に行くようなものだと思えばいい。
私の知り合いの家畜はそうした(誤解しないで欲しいのだが、ここでいう家畜とは苗字つきのことである)。
含まれない。
クローゼットだ。
ならない。
だが、なっているようには見える。
天秤が実は壊れていたとしても、答えは同じである。
我々が目指すべき社会だ。
いま、私たちがこうしている間にも人が死んでいるとして、それに涙を流したりはしないだろう。
有名人の死と、大して面識もない親族、どちらの死が悲しいと感じるか。
死は平等ではあるが、それはそれとして個体の選別はされるのである。
もちろん、我々はどこにも行けない。